漠然たる...

この一年、頑張ってなんとか乗り越えてきましたが、

精神状態はいつも追い詰められており、

わたしという存在が明らかになり、

というのも、わたしにはなにもないということが分かったのです。

わたしは自分で仕事ができる人間だと思っていたし、

行動力やフットワークの軽さでは負ける気がしませんでした。

しかし、それは技術がないことを口先だけでカバーしていて

人に向けて自分を演出するということだけである、

これ以上でもこれ以下でもありません。

自分は思っていたよりとてもカッコ悪いことに気づいたのです。

わたしにはなにもありませんでした。

ただ、一つ誇ることができるのは、艱難の末に、それでも生きているというただそれだけのことです。

 

急に襲ってくる、自分ではどうしようもない痛みを、

きっといつまでも背負っていくのだろうと思います。

これがなかったら、と思いますが、

今までの行いから考えれば当然です。

大人になることは、無理をしないことなのかも、と前に書きましたが、

何かを抱え生きて行くのが大人かもしれません。

抱えていない人なんて、いませんものね。

 

わたしにとっては、自分が幸福を感じたとき、

それが一人のときに、とてつもない苦しみも感じます。

やはり未だに自分を受け入れられていないこと、

過去の中に生きていること、

幸福に伴う、責任と、恒久的でないということへの理解...

 

表面上のことではなく、中の普遍的なものに対してもっと考えなければと思います。

 

誰もわからない

何を受信しているのか、

わたしの中の無意識が、

何に対して傷ついているか、

わからないのですが、

こころが痛いです。

こころが痛いときって絶対何かあるのです。

これから起こることかもしれないし、

過去に起こったことに対して

何か向き合えていないところがあると

こういうようになります。

こころが痛くなると、とにかくジッとして

誰にも迷惑をかけないように

布団に静かに横になります。

今日だけは、もう何にも考えないでいよう。

明日は早く起きるぞ〜。

疎さ

わたしは、ファッションと音楽に疎いです。

ファッションは、本当にただ興味がないのです。

何故か良く分かりませんが、周りの人の興味を占めている割合と随分違います。

 

音楽は、人に影響を与える力は一番大きいものだと思っていて、

わたしは数分で気分を下げたり上げたりできる、音楽に対して、少し怖いと思ってしまいます。

わたしは、幾度か音楽に支配されている自分を感じたことがあります。

音楽の効果や、アーティストの世界に触れた時、

溺れてしまって、戻ってこれなくなるのではと、いつも思います。

慣れるために一人で静かめのライブに行ったりもするのですが。

どんなアーティストでも、音楽が始まった途端、

受け取り手を日常から引き剥がします。

それが心地よく、喜びであることも知っているのですが、

人よりいろんなものを勝手に受信してしまうので、

劇薬であり、脅威にも感じます。

でもなァ、わたし、音楽も知らないとダメなんじゃないの...?

化粧鏡に映る

わたしの家には全身鏡がありません

フト先日、遠くの化粧鏡に映った自分の太ももを見て、

叫び声が出そうになりました

立派!

 

キャベツの千切りと豆腐、卵を混ぜて焼いたらとっても美味しかったです

ここ一週間はせめて、少し食事を減らそう

重すぎて体が大変です

いかん、いかん。

母のこと

「人は変わる」

母の口癖です

年を重ねるにつれて、友人も、父も、とても素敵な人になっていったと言います。

だから、今たとえ気が合わなかったとしても、

いつかは気が合うようになったりする、ということをよく言います。

 

母は、本が、映画が、音楽が好きです。

料理は苦手で、家事も苦手だけれど、洗濯だけは

毎朝必ずします。

新聞を読むことを日課としていて、それが毎日の楽しみだと言います。

家事の合間や食事の後に、新聞を読んでいる母の姿が好きです。

あらゆることを考えていて、それに対しての自分の意見があります。

人の話しを良く聞いて、共感能力が高く、

涙もろく、愛情深い人です。

その愛情を多く向けられているのが、自分や姉であることを知ったのは

ごく最近です。

母は、腰が低く人が良いので、すぐ疲れます。

わたしが帰ってくると知った時にとても生き生きすると

叔母が教えてくれました。

そんな時に、どうしても、

戻らない過去を後悔したりします。

愛を享受できていても、認知できていなければ

いつまでも荒んだままだったからです。

不必要なことがないように、今まで行き着くには

ここまでの過程は無駄ではないのだけれど。

 

私が知らない、母の知っていることが沢山あるように、

逆もまた然りで、私が母に何か話す時、

何か素晴らしいものを共有できたときの母の目は

とてもキラキラするのですが

この時は永遠であっても、いつか別れてしまうことが分かっているから、

涙が出そうになります。

私の記憶について話したとき、

「まるで自分の記憶のもののように感じる」

と母が言ったことがあります。

とても日本的で受動的な考え方だけれど、

そう言ってくれる人は恐らく母しかいないと思いますし

そんな存在がわたしにいることが喜びだなあと思います。

 

夜更けに

夜は寝たほうがいいですね

明日起きられないから寝ないけれど、笑

朝早く目覚めて行動するととても気分がいいのにね

家に引きこもって布団でジッとしているよりね

 

自分とは全然関係ありませんが

北杜夫氏が躁鬱病にかかったとき

鬱症状が出たら薬飲んで布団でジッとしてれば

大抵おさまるって書いていて

苦しさとか何も表現しないんです

サラッと書いてあるだけで

あとは面白く日常を描くから

すごいなあと、そんなことを思い出す夜更けです

ああ、寝てしまいそうです