虚構の上の真実

真実なんて知らなくてよいと思う。

人は、みんな救われたがっているのだと実感したことがある。

真実が発覚したときに、2.3日寝込み、殆精神が疲労したことがあった。

インターネットではバカにされ、エンタメとして皆が面白がった。

その時に彼を知っていたならば、私もそうしていただろう。

この話はおいおいだ。救われたがっているという話からしよう。

我が母は、クラッシック音楽が非常に好きで、私をよくコンサートに連れて行った。

私は、当時芝居命であったので、芸の肥やしとしてついて行っていた。

クラッシックを聴きながら眠ることが何よりも至福だった。

コンサート会場によって、客のマナーがあったり、その変な仕来りといわないまでも、雰囲気がある。

最後帰る時に、演奏の感想を言う人が多い時は本当にそのような話しか聞こえないし、なんでもない世間話が聞こえる時は大体そうだ。

ただ一回だけ、異質なコンサートに行ったことがある。

公演終了後、帰りに殆どの人が静々と帰っていった。

命を削って描かれたレクイレム、交響曲だった。

レクイレムというのは、その、誰かに向けて描かれたものであるが、誰かに関係する誰かの魂すらも癒すことができると思うほど、美しく、繊細なのに、なんというか、本当に全ての人を救済する曲だと思った。

勿論、最後はスタンディングオベーション。周りを見ると、殆どが年配で、皆一様に涙を流していたのが印象的だった。

これこそが、「それでも生きる喜びだ…!」という衝撃が忘れられない。 

人々は、苦しくても、掛け替えのない人がいなくなっても、そして自分の命が危うくなっても、こういうことに会うために、それでも生きているのだと思った。

ロビーに出た後は、皆涙を浮かべ、しかしそれは必ずしも悲哀に満ちたものではなく、少しだけ微笑んでいた。きっと、自分の人生を、大切なあの人を、思い浮かべていたと思う。

ここにいる人は、皆清らかだなと思ったんです。

それが全て虚構だと暴かれた時、あの場全ての人の魂の報われなさを感じたヨ。

本当に、ただただ悲しかった。

それでも、あの時、あの場にいて良かったと心から思えるし、虚構の上の真実は成り立つものだとも思ったんです。

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