世界を正しく認識しようとすると

世界を正しく認識すると絶望すると思うんです。

今も、将来も、とても自分たちで解決し得ない問題が多いです。

認めたくないけれど、複雑化した社会の問題は、恐らく人類が生きている間解決しないものもたくさんあります。

今年に入って、絶望の目を持った人に数人会いました。

一人の人は、あまりにも深い暗い目をしていて、綺麗と思ったくらい。

ついこの間、インターネット上における”ネトウヨ”の割合についての論文を見ました。

その人に、そういう人はどれくらいいると思うか聞いたところ、90%と言っていました。

もっとも、これは極端なケースで、わたしが聞いた人の多くは40〜50%程度と言っていました。

しかし、その結果によると、ネトウヨの割合は1%だったそうです。

どうネトウヨと定義するかにもよるかもしれませんが、私たちにとってそうした強い刺激になるものは影響力を持ち、あたかも大勢のように錯覚させられているということが分かりました。

 

わたしは、自分を守る為にニュースフリー、ニュースを見ることをやめました。

そのおかげで気分の落ち込みは少なくなりましたし、良いことのほうがたくさんあります。

ただ、知らないということの恥と恐怖があって、もう少し調整してみなければいけないとは思い始めています。

きちんと把握していないことにも問題はあるかもしれないと思うけれど、そこで自分が暗くなってしまうよりかはいいと思うのです。

 

わたしが考え、周囲の人にも聞いた結果の数少ないデータなのですが、おそらく「世界を正しく(という言葉が正確だとは思わないけれど)認識しよう」としている人の考える世界よりも、「世界はもう少し素敵である」のかもしれません。

全ての人が、世界の認識の仕方が違うのだから。