校長先生の話

高校一年生の時の校長先生はとても変わっている人だった。

行事の時もサラッと発言してすぐ終わりにしてくれる人なので

好感度はある、くらいのことしか思っていなかったのだけれど

ある日クラスに来て、一時間スピーチをした。

全部の内容は覚えていなけれど、先生の過去の話だった。

昔ボランティアで貧困国に教育者として行ったこと

そこでとても良くしてもらったこと

それでもいつもお腹が空いていたこと

水を汲みに行くのに何十キロも行くこと

帰る頃には足首を掴んだら親指と中指がくっついたこと

自分たちには信じられないような経験を積んでいる人だった。

そこで何を言われたとか、押し付けられたとかはなかった

ただ淡々と先生は話していたように思う。

今からすれば、あんな貴重な人が身近にいたのだから

もっと話を聞きたかったな、きっと沢山面白い話を聞けただろう。

校則はどこよりもゆるく、みんな好きな格好を思い思いしていた。

わたしが受け取ったものは、自由に好きに生きろ、みたいなものだった。

 

それから一年後に来た校長先生は、この緩みきった学校を立て直そうとする人だった。

自由な校風が唯一の長所みたいな学校で、それが好きで入った学生が多かったので

私たちの世代は大ブーイングだった。

絶対に自分たちの意思は曲げないという性格の人が多かったので

やがて靴箱の前にいる先生たちはあまり注意しなくなった。

あはは、覚えているのが、

体育祭のテーマは「革命」だった。

わたしは多分当時は派手な格好だったので

いつも注意されて名簿にチェックをつけられていたが

(チコクギリギリで行くのでセーフになることもある)

呼び出しも罰則も特に無かった。

可哀想なのは一個下からで、髪の毛を染めることも

いけなくなっているようだった。

わたしたちの代は良くて、次からは駄目。

卒業までこの世代はもういいや、みたいな雰囲気を感じた。

 

当時のわたしはまぎれもなく今よりもバカだったけれど

校則がなぜ厳しくされるのか、

好きな格好をしては何故いけないのかが分からなかった。

それを教えてくれたら少しはわたしも聞いたかもしれない。

今の考えは、「派手になることや、自分を表現することは論じるところではなく、

どうして髪の毛を金髪にしたり、化粧を濃くしたり、

スカートを短くしたりすることに制限を持たせているかというと、

まだ社会や世界の常識を知らない子供は、

悪い場所に引きずり込もうとする大人に目をつけられやすい。

目立てば目立つほど、そういう人たちに見つかる。

今を楽しみたい気持ちは良く分かるけれど、

高校に在学している以上、わたしたちはあなたたちを守る必要がある。

グレーのセーターが駄目でクリーム色などはバカらしいけど。」

そう言ってくれれば分かったかもしれない。

わたしにとって明るい髪の毛や、一時間もかかる化粧、

派手な格好は、周りから自分を守るものだったから。

そして当時感じていた寂しさや痛みを隠すものだったから。

 

別に格段嫌な先生でもなかった。多分無視されていた世代だから。 

いつも話しは面白くなかった。

でも一言だけ覚えている。

「僕は今60歳で、君たちは16歳や18歳だ。もう僕には残された時間が少ないけど、

君たちは十分にある。羨ましい。」

わたしに残っている自分の時間は、どれくらいあるのだろう。

 

そして思う、前者の先生の方が好きだったけれども

比べることではなく、一校の長になるってすごいことだ。

今でさえ先生というものに対して

尊敬の念を抱いているけれど、少し遅かったように思う。