2018/04/10

カレー、チンして食べたら治りました――スプリング・躁鬱・スーサイド! / 坂口恭平×末井昭×向谷地宣明 | SYNODOS -シノドス-

 

第4回 当事者になりたい!■末井昭|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

[当事者研究]自殺未遂とひきこもり、私の場合。第1回|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

読んだ。

また読みたいので貼っておく。

 

 

何か、snsで女の価値はバックでわかる

みたいなことを言っている実名の人がいた。

何を言ってるんだ?と思ったけれど、

もう少し若かったら、それを鵜呑みにしてしまったかもしれない。

もしかしたらバックを買うために交際などしていたかもしれない。

混み入った話しをしたことのある仲の子で

30万でしないかと話しをもちかけられたことがあるらしいし、

またある女の子はタワーマンションの一室で

チャットレディをして1日で4万円以上売り上げていたことがあるらしい。

 

芝居をしていたとき、支援してあげるから代わりに喜ばしてくれないかと

言われたことがある。

また別の人にうっかりアルバイト先を漏らしてしまって

客として来られ絡まれるので事情を話し、

その人が帰るまで裏で泣きながら皿を洗ったこともある。

わたしでさえもそういうエピソードは挙げればきりがない。

 

話しがずれたが、

何が言いたいのかというと、異性の大人の発言が

全て正解のように思うような時期がたしかにあって、

少女のときに道を踏み外す人はかなりいると思う。

その人の発言は悪意が感じられなくて、それが怖い。

そういう情報を見た、普通の家庭で育って

どこかの段階でちやほやされはじめた女の子たちは

じゃあ高いバックを買わなくちゃ!

そのためにはお金が必要で、時給1000円にも満たないアルバイトじゃだめで

そんなときに儲かる話しあるよ〜って言われたら

自分の身体がよくわかっていない時期に何も考えずに簡単に

何か大切なものを無くしてしまう気がするの。

というかわたしだったら機会があればそうしてしまったと思う。

高校生の頃のわたしの通学バックはグッチだったから。

 

見えないところで今のわたしのような

自身のことを大切に出来ず苦しむ未来の可能性を

着々と育んでいるような人はどうやったっていなくならない。

おおげさでなく。

 

 

わりとよく自分の過去のブログを見ては変化を確認するのだけれど

使いこなせないような綺麗な言葉たちを

一生懸命並べてみたり、

上手くいった日はこんなに日々何かを得ていますよ、という報告だったり、

そんなことをしてかろうじて自分を保っていたのだと思う。

なぜならば今の自分よりよっぽど狂気と苦しみのなかにいて、

醜い言葉を残せなかったのだ。

文章はわたしの気分に反比例する。

キーボードを打ち続けていることで

バランスをとろうと無意識に試みているみたい。

これ以上感覚をすり減らしてしまわないようにしたい。