2018/05/18 近現代史について

先日見た『ラジオ・コバニ』と『ラッカは静かに虐殺されている』のことを考えていたら、近現代史を知らなさすぎることに気がついたので、中東問題などの歴史を学んだ。

イスラエル、アラブ、ユダヤ、その他諸々のことばは本当に分かりにくかった。特にイスラエルという言葉はいろいろなところで使われているので難しい、当時の先進国の非人道的な外交によってねじれにねじれてしまった過程を追っていくと、どうしても中東に住む誰もが自分たちは正しいことをしていると思うに違いなかった。わたしだったらどの立場であっても、と考えた。

昔母が午前十時の映画祭で『アラビアのロレンス』を見に連れて行ってくれた。そのときに「ロレンスはイギリス人だし中東問題に携わるためにアラブに行ったけれど、”アラビアの”ロレンスなんだよね。」と言ったことを思い出した。

あと知らなかったこと。中世のヨーロッパでは金融業は汚ない仕事だとされていて、迫害されていたユダヤ人にその仕事が押し付けられていたということ。そしてそのために豊かな暮らしができるようになったら、金もち=ユダヤ人としての印象が生まれたそう。

 

幸いにして、わたしは国籍や人種で人を差別することがないように教育をされてきた。不毛だと思いつつも、「中国人が」「韓国人が」「外国人が」(以下に続くことばはえてして良いものではない)という言葉をたまに聞くと怒りを覚えるし食ってかかってしまう。

でも、時代はもちろんのこと、教育や宗教、自分たちの親の世代が受けたものを背負って生きていくために差別せざるを得ない、というかそれが当たり前のことな人も沢山いるのだ。多分わたしの方が少数派だ。

なんて思ったりした。