2018/07/03 年を重ねるということ

何かの機会のたびにgoodwillhuntingとintothewildを何度も見る。

わたしが苦しいときにはいつだって支えになってくれたし、心の傷を癒し、そして踏み出す勇気をくれ、何よりもたくさんのことを考えさせてくれる。

 

以前通っていた大学は本当に好きではなかった。理由は、本当に申し訳ないけれど、あまりにも授業内容と生徒が稚拙過ぎたからだ。出来たばかりの学部ということもあったと思う。

一番わたしを腹立たせたのは、先生たちだ。生徒のことをただの金ヅルとしかみていないかたが多かった。勿論そうでない人もいたけれど、ほんの少数だ。

授業はわたし一人で勉強できるくらいのもの。本の丸写し。酷い時は、はじめ、90分間Wi-Fiの接続の仕方を教えてくれたこともある。そしてその先生の言葉が聞こえないくらい喋り続ける生徒。ここは幼稚園かと思った。でもわたしもそこにいるということは、同類ということだ。それがわかっていた。

一年間授業を受けたけれど、もうここにはいられなかった。ここは大学ではない。

 

元々大学に行く気はさらさらなかった。当時大学というものは、難関大学以外は何にも考えずに将来の目標が定まらずダラダラしたい人が行くものだと思っていた。

芝居の道は諦めてしまったけれど、メイクと特殊メイクが得意だったので、そういう専門学校に行くため、そしてその学校が本当にちゃんとしているかを見定めるために多いところで8回ぐらい見学に行った。

父に大学に行けと言われた。今ならその意味が理解できるけれど、荒れ果てた心しか持っていなかったわたしはとても反発した。それでも、最初で最後の親孝行だと思って、前の大学に入った。

映画を専門的に学ぶところだったけれど、わたしの知る限り、わたしより映画に詳しいような人は3人くらいしかいなかった。映画の話をするとみんな嫌がる。授業で先生がある映画を見たかという挙手制の質問で手を挙げたのはわたしたった一人だけ。「それでも夜は明ける」という有名な映画だ。

どうして?なんのためにここにいるのか疑問と同時に怒りを覚えた。いま思えば、そこがわたしに合っていなかったという言葉で済むことだと思う。

そして何よりわたし自身が未熟だった。そこにいる人を見下した。勿論友達なんてほとんど出来なかった。だから今連絡を取り続けている人は同年代で2人、先輩で2人だけだ。

 

二年生に上がる前に、退学して予備校に入って、もっとアカデミックな大学に入りたいと両親に伝えた。その頃半年間家出同然でシェアハウスで暮らしていたので、帰ってくるならいいと言われた。シェアハウスで気の合う友人と出会い、二人で暮らす約束は数年後の約束になった。そしてわたしが予備校で勉強している間に彼女は失踪した。

 

話しを戻す。二年生は休学して予備校に通っていた。休学費用は年間で50万、予備校代はもっと凄まじくかかっただろう。途中で倒れ通えなくなったので詳しいことはわからない。父が退学を許さなかった。わたしのことを考えて。それにも腹が立った。

ちなみに今の大学での休学費用は年間で12万だ。(元々はもっと取っていたらしいがある生徒の申し出により安くなったらしい)

 

わたしが今の大学に入ったとき、前の大学の理事長は何億か私的に使いまくって捕まった。それから少しずつ改革が始まり、いまでは良くなっているらしい。友人曰く、「先生たちが甲冑を着て戦っている」とのこと。

 

あの頃、あの大学にいた時間は無駄だと思っていた。でも、わたしが勉強を楽しいと思ったのは予備校に入ったおかげだ。予備校に入らさせてくれたのは前の大学のおかげだ。そしてわたしより映画に詳しい3人に出会えて、映画にもっとのめり込んだ。名目上は電車で通うことの無意味さで家を出た先には素晴らしい人たちが待っていた。

なんにも無駄ではなかった。あ、でもお金は無駄だったかも。

 

もっと賢くなりたい。そして人に怒りをぶつけない優しくて強い人になりたい。何からも逃げず、真っ正面から向き合う人になりたい。

わたしは沢山もらいすぎた。

だから今度はわたしがあげる人になりたい。優しさや、暖かさを。