2018/07/21 痛みとともに

生きとし生けるものの全ての人にたいして、隣に居続ける人でありたい。

それはその人のためでなく、きっと私のためなのだと思う。

明日のことを考えて生きていない。

 

昨日、大学の友達に借りていた機材を返した。彼女とはもともと大学の同期で、ゼミやディスカッションの場でよく一緒だった。

彼女の三年生の実習では助監督をさせてもらった。

「こんないつおかしくなるか分からない私なんかに大切な機材を貸してくれてありがとう」と言うと、ポカーンとしたのち、「あなただから貸したんだよ〜。」と言われた。

そしてなんども「ありがとう」と言われた。こっちのセリフなのに...

ありがとう合戦をしてしまった。

 

そのあと、病院に行った。頓服薬は全てやめる代わりに、SSRIの服用は10月末までしてくれと言われた。あと、睡眠剤に関しては半分に割って徐々にやめてみましょう、とのこと。

うまくいけば今年じゅうにはやめられるかもしれない。

 

駅前で政治家の人が演説していた。暑いなか。誰も耳を傾けている人なんていなかった。

コンビニで電解水と、電解水が嫌いな場合のために水を買った。

「体調に気をつけてください」とお渡しすると、とても驚かれていて、「ありがとうございます」と言われた。なんか、うーん、私は現政権を支持していないので、他を支持...するしかなく、でも志があるかたに少しだけの希望を抱いている。

私が政治に対してできることはあんまりにも少ない。

ひとつ、来年の春に行われる選挙のスタッフをすることにした。まだできることは少しはある。

 

その近くでこの間の関西の水害の募金を募っている方がいた。

必死に声を張り上げていて、お財布の中身を見たら一万円しかなく、流石にお渡しするとこちらの生活が厳しくなるので、大切な500円玉を二枚お渡しした。

「大きいお札しかなくて小銭でごめんなさい」と言うと、「お気持ちが嬉しいのです。ほんとうにありがとうございます。」と深く頭を下げられた。50代くらいの三人のかた...

頭を下げるのはこちらなのに...

 

 

なんだかやるせなくなり、いつもの神社に行って木を抱きしめた。

そしたらね、蝉やカブトムシなんかの抜け殻がたくさんあってね、それまた美しくて、彼らはもう少し木の上で生きている音がした。

そばに寄って頬ずりして、、、なんだか私たちはないがしろに簡単にしてしまうものをもっと大切にしていかなければいけないと思った。

 

それからまた大学に行き、夕暮れの中人がまばらなベンチに腰掛けて静かに歌った。

スーザンボイルが好き。

 

 

わたしにできることは少ない。

だからわたしにできる限りのことはしたい。

先日のシンポジウムで、性犯罪が潜在化しやすい理由として

「被害者とその家族が訴えを望まないので問題を認知してもらえない」

と弁護士のかたがおっしゃっていた。

裁判できる時効は10年。人によっては40年以上引きずって苦しんでいるかたもいるそうなのだ。そして刑罰はあまりにも、あまりにも軽すぎる。

 

わたしはまだどの人も訴えることができる。

でもしたくないのだ。

なぜかって、辛いからだ。凄まじく辛いことなのだ。証言は法廷で一から聞かれ、加害者側の弁護人に責め立てられ、話題になったら知らない人から攻撃され、安全な日々は終わってしまう。

できない。今度こそほんとうに正気を失ってしまう。

 

そして何ができるかと考えた。

もう少し自分から発信していこうと思う。アプローチの仕方を変えて。被害者側が加害者側ないし未来の加害者に歩み寄らなければ改善していかないことがわかった。

わかってもらうためにはとても丁寧な言葉で静かに継続して伝え続けるしかない。

わたしはそれをする。過去のわたしをうまないために。

「特定の恋人がいないのに指輪つけるのって虚しいね」とある女性に言われた。

うん、虚しい。指輪の意味についてわかってもらいたい人に言われてさらに虚しい。

仕方ないか。わたしの痛みをわかってもらうことはしてはならないんだよね。

 

 

 

生きとし生けるもの全てに生まれながら尊厳があると思う。

それは他人に渡していいものではない。両親ですら奪う権限なんてない。

でも現実は簡単に奪われ、奪い、そしてそれに気がつくには時として時間がかかる。

だからそういう人に向けてわたしの声を発信したい。

もともと持っていたのだから、無くして見失ってしまっても、また持つことはできるんです。自分を大切にするということは、自分の尊厳を守るということです。

誰も教えてくれなかった。でも知ることができた。だから教えるという言い方はおこがましいけれど、わたしはこう思っていますということを伝えたい。

 

 

 

 

 

祈る。

 

 

なんとなく統計学上の人の寿命まで生きられないと思っている。わたしに残された時間は少ないのを感じる。

だから隣る人でありたいのだ。あなたたちと一緒に生きていきたいのだ。