2018/07/22 あさ

昨日は神社に行かなかった。咀嚼したいことがあるから。絵を描きながら気絶していた(もちろん薬のおかげさまです)。

 

自分に対しての言葉。

誰かのためにつくられたところは自分のエゴで自分のためにしてはいけないんだ、美しくない。結局どうしたって自分がいただくものがあるからだ。

わたしは映像表現と理論を勉強しているけれど、そんなの本当は重要なことではないんだよ。そしてこれが思想の正解だと教えこむことは絶対にしてはならない。そういうことに芸術は使ってはいけない。癒すもの。寄り添うもの。勇気を与えてくれるもの。

そうあるべきなんだ。

これはわたしがやりたいことであって、スプラッター映画とか超娯楽映画とかも大好きだし、その中の思想は好きだ。

わたしはわたしの思うことを信じる。

 

 

昨日自分に絶望した。

ある打ち合わせが終わり、その団体のスターの女の子が東京に来ていたので、そのあとはご飯を食べに行った。夜中女の子と二人で歩きたくない。若い女というだけで心労がすごい。うるさいし、しつこく、醜い欲望の渦の目を見たくない。それに対応するためにわたしが今まで身につけていたのは、ヘラヘラすることだった。ヘラヘラしてかわす。信号が早く青になりますようにと思いながらヘラヘラしていた。傷つけたくないのだ、どうしても。

でも一緒にいた彼女は、「興味ないんで。」と言った。

男の人たちは、「ええーッ!嘘でしょ〜」と言ったけれど、彼女は「いや、もうほんとそういうの興味ないんで。ほんとに。」と真顔で言った。

 

凛とした彼女はとても美しかった。アスファルトの上に立っていても土を忘れていないと思った。でも泣いてたよ。笑いながら。傷ついたよね。怖いよね。

 

その後、彼女は深夜バスで帰って行った。

そしてまだ自分をないがしろにしていることに気がついて絶望した。絶望しているということは希望がたしかにあるからなのだけれど。

見送ってわたしも帰ると、途中でまた絡まれた。わたしは彼女の凛としたところを見てしまったので、毅然とした態度で歩き続けた。それでもつきまとい引き摺り込もうとされるので、思いっきり睨みつけた。

そしたらその人たちどんな反応したと思う?

 

 

 

 

 

笑われた。爆笑されたよ。

 

 

 

わたしはあなたを忘れない

 

そして考えていた、ずっと。

わたしも彼らと同じことをしてしまっているかもしれない。どこかで必ずしてしまっている。怖い。でも見つけないと。

 

 

お口直し。

 

この間の舞台のための機材を貸してくれた友達の話しをしよう。

去年の彼女の映画の撮影中、大学から近いわたしの家に機材を保管していた。

わたしの家までの帰り道に、彼岸花が咲いていた。

「綺麗だねえ」というと、彼女は「こっちにはコスモスがある。うちの実家はこの時期になるとコスモス畑みたいになるところがたくさんあってね、すごい綺麗なんだよ。」って言った。みんなにっこりしてて。

いい時間だった。