2018/07/23 元気を与える人ってすごすぎません?

昨日、面白い広告しかやりませんというスタンスの会社で働いている女性のイベントに行ってきた。

彼女は自虐的にも見えるのだけれど、記事や仕事を拝見している限り、自分のことをとても大切にしているのも分かっていて、どういう風にバランスをとっているのかをもっと知りたかった。

 

イベントを通して思ったのは、やっぱり感じたことは間違いではなかった。

お互いの敬意があってこその人間関係は成り立つよねって、言葉にしてはないけれど、そう感じた。

そんなんでもすっごい爆笑の爆笑を重ねた。究極のエンターテイナーだった。本当に人を明るくさせる天才のようなおかたでした...

 

そして隣に座った女性と仲良くなった。

これまたすごく素敵な女性で、一個上だったのだけれどキラキラしていて、積極的で、佇まいが美しかった。ひゃ〜。デザイン関係のかただった。

ショートカットでスタイリッシュな印象だったのでお手洗いでバッタリお会いした時に声をかけさせていただいた。

帰っている途中、キャッキャ言いながらいろんなことをお話しした。

その会社は個人が輝いているので、会社全体が好きなのはもちろんなのだけれど、個の人としてファンがついているんだなあと会場の雰囲気で感じた。

それってすごいことだよなあ...。

 

そして電車で帰っている途中に、「めぐちゃんと会えて幸せです。これは(イベント主催の)彼女が持ってきてくれたご縁だね...。」とラインがきた。

 

物販もあり、会場は最前列から買うことができるというシステムだった。ホスピタリティがすごすぎて、最後列に座っていたので30分くらい待った。笑

でもそのあいだに素敵な彼女とずっとお話しできたのでほんとうにありがとう、この席に座ってよかった...

 

 

 

最近は犯罪心理をちょこまか学んでは心労が溜まる。でもねえ、こんなことで負けていたら被害は抑えられないのだよ。だから現実と法律と臨床の結果を学ぶのは辛いけれどやらなくてはいけないことなのだよ。自分の身をなげうって実名で発信し続けている人たちがたくさんいることを知っているから。わたしにはまだそれができない。もっと勉強しなければできない。もっと加害者側の心理も勉強しなければ、自分の理想には近づけない。

 

ただ当たり前にあるはずの権利の主張をしたところで共感を得られなければ何も変わらない、気がする。自分が正しいと思ったところから全ての間違いが始まる。だから歩み寄りたい。そういうところには身をなげうってでもしたいし、これからできると思う。

 

このあいだのシンポジウムでも涙が止まらなくて苦しかったけれど、それでも最後まで聞き続けた。わたしは過酷な現実と正面から向き合って逃げなかった。誘ってくれた女性は隣でウトウトしていて、なんだかそれに救われた。

先生がたは、犯罪のなかでもこどもへの性的暴行は格が違うほど酷いものです、となんども強調していた。

このあいだのテーマは痴漢だったのだけれど、そこには高校生がきていたりして、高校生にこの場に自主的に来させるような環境をわたしを含めて大人たちが作ってしまっているという、そんな、ほんとうに、ひどい...

 

こういうシンポジウムを開いてくださって、ほんとうに感謝しかない。

 

また、しつこいけれど、もうこれで最後。ある作曲家さんが贈ってくださった言葉を。

「生きたいと生きねばは全然違います。」

 

生きたい。でも生きねばとも思うんです。

だってわたしにできることがあるかもしれないから。

多分わたしといるとほんとうに疲れると思う。わたしはわたしといて疲れるもの。笑

それでも毎日本気でしか生きたくない。全力で生きたいし、生きねばと思うのです。

 

 

今日はわたしの最も愛する映画監督の作品のワークショップの打ち合わせ。

その前に「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最後に死ぬ時。」と「乱世備忘 僕らの雨傘運動」を見る予定。ポレポレ大好き。

やばい。ほんとうにお金がない。笑

でもこれ全部のちのちにためになるので...そう信じているので...

学ぶことってほんとうに一番の贅沢だと思う。そしてとてもお金がかかる。

 

 

7/10~8/5 まで一切休みを入れていないことに今更気がついた。

人に「自分のしたいことはしたいしやるべきだと思うけれど、そんなに予定詰めて身体壊したら元も子もないよ!ほんとうにきちんと休んでよ、心配。」と口うるさく言っていたのに...

恥ずかしい...

そのあとは9月までのんびりしよう。自分のために。

あとはもっと体力つける。馬と1ヶ月くらい生活するのってすごく体力がいることだから。でもほんとうに楽しみだなあ。はやくお会いしたい。