2019/05/13 「わたしはわたし自身に証明がしたいのだ」 プロローグ

英語の授業を演劇学科の生徒と一緒に受けている。

履修登録の事情で、自分の学科の英語の授業が取ることができないからだ。

わたし達生徒は先生に単位という名の成績をつけられる。

逆説的に、いま受けている英語の授業に成績をつけるならば、落第にしたいところだが、情状酌量の余地でギリギリCマイナスといったところの授業だ。

しかし、専門的に英語を学びにきているわけではない。

大学のシステム上受けざるを得ないもので、英語に対する先生の知見を求めるものでもなく、ただ淡々と単位が取れさえすればよいと考えているので、授業がどんなに悪かろうが、わたしに不利益はない。

不利益があるとするならば、毎回少し不快な気分になることである。

ある一部の生徒達は、その講師を馬鹿にして、何かあるたびに過剰にいじり、今日ついに扱き下ろした。彼女達を見事とさえ思った。

人の欠点を執拗にあぶり出し、馬鹿にしたり責めたてるというその姿は卑劣な行為は、イジメに他ならない。立場を生徒間にした場合、イジメと考えることができるので、そう言い切ることができる。

 

話の内容が非常に面白い。例えば、教科書を忘れてくると、評価がマイナスされるのだが、そのマイナスされることにすら難癖をつけるのである。

授業終了数十分になり、「ロッカーの中にあるから今から取ってきていいか(だからマイナスにしないで欲しい)」と言い、それが受け入れられないことについて反発する。

自分自身の過失にも関わらず、被害者的な意識を持ち合わせている部分は、加害者心理とよく似ていると言える。

 

彼女達の立場から見てみようと思う。

彼女達は演劇学科の生徒である。役者の道を志し、また学生でありながら既に舞台や映画に出演していることだろう。なぜならば、大学を出た後から仕事を始めるのは、不利な状況下におかれるからだ。

芝居の道で生きていくためには常に優位な立場を築き上げる力が必要だ。なぜならば、役者は仕事において余程の事情を除いては、非常に弱い立場にあるからだ。

ゴマンといる役者志望の中から役に選ばれなければ演じることすらできない。

彼女達は上下関係を強く意識することが必要であり、上とみなした者に対してどうより良い印象を持って役を勝ち取るかということを考えるのは当たり前のことである。

それが自分達にとって必要で役にたつことだ。

英語の授業の講師は、下とみなされ、それ相応の態度をとられているにすぎない。

彼女達は、今まで圧倒的に業界の人から下とみなされ、態度で示されてきたからだ。

 

だからといって、下とみなした者にする態度というものがあっていいのかという話になるが、彼女達は彼女達の世界にしたがって行動しているだけなのである。

 

わたしはかつて彼女達だった。

 

*余談

 

大学の新しくできた校舎のお手洗いにこの間初めて入って強烈な拒否反応がでた。

男性はブルー、女性はレッドとして表象されていたから。

きもちわりゅいぞお。と思ったことを明日ゼミで話そうと思う。

ちなみに、多くの校舎が男性はグリーンで女性はイエロー。