2019/05/31 ここ数日
私が自分で長所だと思っているのが感受性で、どれだけ「適応するためにもっと感じないようにした方がいい」や「繊細すぎる」と言われてきても大事に持っていたのだけれど、最近それがなくなってきていることに気がついて沈んでいた。
多分これは性犯罪のことだったりを勉強する中で、自分が適応したのだと思う。
ずっと苦しい思いばかりしてられない、と思う。
明らかな有罪にも関わらず、無罪判決が出た時、被害者に感情移入しないように訓練してきた。その結果かな。
映画をみて感情の起伏がなくなってきているのを感じる。
焦って一日に三本みて、また絶望して、次の日の授業に出られなかった。
やりすぎはいかんですなあ...。
少し自分の関心があることと距離を置こうと思っている。
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映像メディア論という授業では、毎回質問や感想を自由に書いていい紙が配られる。
毎回思うことがあるので、お手紙ですと称して授業終了後に先生に渡す。
次の週に私の意見や感想(または映画に関するただの雑談)にレスポンスをくれる、馬場さんタイムができるようになった。
えへへ。
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たまにいくつかの授業で先生を独り占めしている感覚になる。
積極的に前に座り発言すると、先生たちは質問に指名してくれるようになるのでそれが楽しい。
映画のこと話すの、楽しいなあ。
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ああ、これは決められていたことだな、と思ったできごとがあった。
デジャヴじゃないのだけれど、乗馬クラブで社長さんから「今日君と会って話をすることは決められていたんだよね。」と言われた時の感覚と一緒で、何かがあるのだと思う。
いつものように図書館で映画を見ていると、大学の同期と会った。
私はいつでも人の顔を見ないで歩くので、知り合いがいても気づくことは少ない。
なのに”見させられる”感覚で、目があって、わ!久しぶり!となった。
そのあとももう一度ぶつかる寸前ですれ違った。
帰り道、”私が彼に連絡を取って(決められている)会う””でも彼が会いたくないと言ったらそれ以上はしなくていい”みたいな感覚で、勇気を振り絞って連絡すると、承諾してくれた。(こう書くと恋愛的な感じがするけれど、そういうではない。)
何を言わなきゃいけないのか、いまいちわからないのだけれど、今度会って話すときに見つけられたらいいなと思う。
もっとも、乗馬クラブの社長さんには二週間後に感謝したように、その時にわかることではないのかもしれないのだけれど。