2020/03/17 toxic

やってもないことをやれると大きな声で言う気は無いが

小声で言うならば「ブログで稼ごうと思えば稼いでいる人のデータを参照してターゲットを設定しその読者側が欲しいことをひたすら提供しまくれば副業収入にはなる」ということで(現にびっくりするくらい能力のない人でも芸能人のウワサ話まとめみたいなクソ記事を量産するためのプログラミングのコードだけ書いてボロ儲け、みたいな人もいるわけで)

 

金のために魂を売ってもいいが、今は売らなくても暮らせるのでそうしていないだけで

 

そしてこのブログは他の誰でもない私によって書かれた私のためだけのポエムであり

事実、記事が300件を超えており、その時思ったことを誰の忖度もなく偽りなく書きまくっているので

認知行動療法にも使えるし、その時の思想の危うさとかも後になって検証できるし、精神状態がこうだと、こう言う傾向の文章書きやすい、とかもわかる(いつの時も暴言を吐いている時は元気な時で、希望に満ち溢れている言葉を書いている時はすごく弱っているので笑う)

 

「誰かに何かを発信する」ということの恐ろしさを今一度考えてみようと思う

とても恐ろしいことだが社会に対して発言権を持つと賞賛の対象になり独裁傾向になりがちだ

しかし完璧に影響を受けないということはかなり難しいので、以下の言葉を多用する人の話は注意して聞くようにしている

「忙しい」「〜人は(主に白人・黒人・黄色人でカテゴライズする)「(大抵のマジョリティーは)バカばっかり」「左も右も嫌い」「若者は正しく老人は害」

思うところはあるが、

生きる上で、これだけは忘れないようにしていることがある。

「私の考えはいつでも偏見に満ち溢れていて、どんなに無意識の差別をなくそうとしても完全になくなることはなく、数値に基づいて判断することを大切にしたいが機械ではないので自分自身の経験の傾向も判断基準の大きな材料だ。私の考えはこの世界の誰とも完璧に一致することはない。自分自身が最も正しいのだと思ったときから全ての間違いが始まる。正しさとは人によって全く違うからだ。」

ピヨピヨ。

「誰かに何かを発信する」ということと「お金」と「生活」が結びつくとき、本当に酷いことが始まる。自分がより多くの人よりも正しいのだと思っているから発信するわけだし(私みたいにアーカイブとして使う人も多いが)、そして多くの人たちの考えを自分と同じにしようと思っているわけで、

最初はそうかもしれないが、だんだん収益化してくるとクソみたいな忖度としがらみのオンパレードになって結局のところ社会のためになることなくデフレスパイラルに陥る。

そしてその余った金は性の消費などに使われるんだ...(経験上の偏見)

 

「さよならテレビ」は全く評価しないけれど(映像を専門に勉強しているのでその意図や構成が丸わかりだから) 、製作側がひたすらにベストを尽くした作品だと思う。若い者の特権として言わせてもらうならば、そりゃテレビは死ににゆくわ、ベストを尽くしてこれしか作れんのか、と思うわけですが...

しかし、東海テレビのドキュメンタリーという枠組みでは全て評価したい。イマドキこんな作品を作ることができる日本におけるテレビとしてのメディアが他にあるだろうか?

ない。

さらにもう一言だけ言うと、テレビ業界で働く人は一見力があるように見えるだけで個人単体でいうと圧倒的な加害者でもあるが、被害者でもある、と...

兎に角必見也。(評価してるじゃんと思うじゃん?)

 

さて、表現の自由ばかり主張する人が多いですが

表現することの恐ろしさについて

今一度立ち止まって、よく考えたいと思います。

 

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