振り返って

ツイフェミと呼ばれる人たちの言葉が苦痛になって随分前にツイッターをやめた。

あまりにも汚い言葉をたくさん使うので、見るのが疲れてしまった。

 

ここ数年、自分を取り戻すために、多分たくさん勉強した。

特にジェンダーについては苦しみながらも少しずつ学んでいった。

そんな中だったから、大学の新校舎のジェンダー表象について激しく怒った(旧校舎はジェンダーの境目をできるだけなくす色で気に入っていたから)。

怒りのままに教授に直談判した。周りの学生はポカーンとしていた。それにも腹が立った。抗議しなければならないことなのに、誰も違和感を覚えていないのか。

その後、言い方が良くなかったと、もう一度話しを聞いてもらった。

真摯に受け止められたと思う。別に誰もが差別をしたいと思っているわけじゃない(無意識のものが一番恐ろしいが、現実は厳しい)。

その後も怒り続けた。

先進国と言いつつロクに性教育をしてこなかったことに、それなのに刑法における性交同意年齢が13歳ということに、痴漢が初犯で捕まるまでに平均約8年かかり、その間に約2000人もの被害者が出るにもかかわらず、何も専門知識のない口先だけのコメンテイターが「冤罪」という言葉をすぐ出すことに、学べば学ぶほど苦しくなることに、怒った。

怒っている姿は他人を疲れさせる。

ツイフェミと呼ばれる人たちが私を疲れさせたように、私もまた周りの人を疲れさせてしまった。

 

反省して、人に伝えるときに何が必要かを学んだ。

誰かに自分の主張を分かってほしいとき、分かってほしい人のことをまず自分が理解する努力をしなければならないと思う。

その上で、なるべく数字で証明できるものを用意し、感情を抜き去り、淡々と丁寧に話す。

 

それが今できているとは思わないけれど、過去自分が感情任せになっていたことは結構恥ずかしいことだった。

 

でも、当然だな、とも思う。

周りを疲れさせても、怒らなきゃいけないことだったのだ。

 

深夜のラジオ番組で、某タレントが「コロナで辛いかもしれないけれど、もうすぐしたら風俗にお金に困った可愛い子がいっぱい入る」と発言し、問題になっていたとき、

「いくらなんでも怒りすぎじゃないか」と思った。

けれど今はちょっと違う。

最悪の発言だ。許されるべきではない。

今ここで、ヘラヘラして流しちゃいけないんだ。そうしたらまた次の世代が同じ目にあう。

「いくらなんでも怒りすぎじゃないか」、ではない。

(ただ、だからと言ってタレント個人を攻撃するべきではない。発言自体がダメなことであって、その発言をした個人の人格まで攻撃する権利は誰にもない。)

 

まだそんな時代だ。

でも、もう違うのだと言い続けないといけない。

伝え方を変えてみても、昔怒りまくっていた自分を恥じたくはない。