2020/08/09

ここ数日、「将来子どもができたときに傷をなんて説明するんだ」と言われたことを、改めてぼんやりと考えていた。

何も答えは出ないけれど、全ての人に理解してもらえるはずがなく、むしろ傷にまつわることを理解してくれる人の方が少数だろうし、、

普通から逸脱してしまった人間は、その枠の人から疎外されてしまうかもしれないけれど、普通でないから生きてはいけないわけでも、ひっそりと息を潜めて隠れるように暮らさなければならないわけでもない、と思いたい。

誰もが一生のうちどこかで普通から外れてしまうから、私は私と違うからといって誰かを排他的にする人にはなりたくない。

 

それでも自分とそれ以外の、それ以外に分類されると傷つく。

もう終わったことでも、瘡蓋を自分で剥がしてしまうみたいに、言われたことについて考えて、また落ち込む。

そんなことしなくても良いとわかっているし、自分に全くメリットのない生産性のないことだとわかっているけれども。

 

たくさん周りに理解ある人はいるのに、ないものねだりばかりで贅沢だね!

 

生きてりゃ誰だって色々あるよね。

全員に好かれるなんてはなから無理だもん。

 

一番何もできなくなっていたときにそばにいてくれた人は、私がどんな行動をしても笑い飛ばしてくれた。

傷があることも気にしないし、ご飯が食べられなくなってる時には1週間に2日家に来てくれて、ご飯を食べさせてくれた。

掃除もできなくなって、水回りが汚くなってしまって、謝ると、そんなこと気にしなくて良いと言ってくれた。

私はおかしいと泣きじゃくれば、普通だよと言ってくれた。

そんな彼の人生は本当に波乱万丈だった。

 

 

しかし、ほらー、あるじゃんー、ちゃんと良い思い出がー

 

私もそういうことができる人になりたいな。

まずは自分の力で生活できるようにならないと。

 

病気になっても認めてもらえた経験があるから、それにまつわるもので誰かに受け入れられなくても大丈夫だ。

大学に入って、はじめて尊敬できる大人がいっぱいいる世界が実在することがわかって、色々仕事をするなかで認めてもらえた経験があるから、大丈夫だ。

 

たくさんの良い思い出があるから、不思議と書いていて明るい気持ちになる。

あるよね、生きてりゃ悲しいこと、たくさん。

でもそれより楽しいことの方が多い気がするかなあ。