2020/12/30 思ふ

虫や鳥の声を聞いていたい。

葉っぱからチラチラ覗く太陽の光を美しいと思っていたい。

四季の美しさを感じ、出汁の味を感じたい。

誰かと呼吸を合わせたい。風の匂いを感じたい。

土の上を歩きたい。色んな生き物と共存したい。肥料の匂いを嗅ぎたい。

わたしはそういうところにいたい。

 

わたしが思う本当の大人は、自分に非があればすぐに謝る。

わからないことをわからないと言う。それですぐ誰かに聞きに行っている。

年齢問わず、色んな人の意見をフラットに聞いて、

自分の意見よりも良いと思えば違うほうに変えていくことができる。

決して傲り高ぶらず、自分と相手を尊重している。

表層にある問題と、その根底にある問題の棲み分けを早い段階で理解している。

学ぶ→試す→失敗する→学び直す・工夫する→試す→失敗→...→成功

ということを繰り返している。

ただ、これを大人のかたに当てはめないようにしている。

あくまでわたしが思う本当の大人のモデルだから。

色んな世界の仕事を見てきて、びっくりするような大人(あまり良い意味ではないかも...)が

たくさんいて、本当に唖然とした。

こどもの頃は、びっくりするようなこどもは、そんなに多くはなかったのだけれど、

社会というところに出ていくと、そういう風になってしまうのか、などと思った。

自分の機嫌が悪くなると部下に当たり散らしたり。

自分のミスを部下のせいにしたり。

既婚であるのに部下に性的な関係を迫ったり。

会社に都合の良い数字に改ざんしろと部下に迫ったり。

ずっと早く帰りたいと大声で喚く偉いらしい人。。。hahaha...

社会は狂った人が中心にいるのかなとたまに思ってしまう。

違うな。自分の弱さを他人で埋めようとする人が多すぎるんだ。わからないけれど。

 

自殺防止のために入院していた(人生の難易度が高い、よく乗り越えた)病院の患者さんは

ほとんどの人がまともだったze

本当に、ほとんどの人がまともだった...。

最初は怖くて怯えていたけれど、色んな人と仲良くなったな〜

あと頭が良くて話しが面白い人が多かった。

死んじゃいそうな人たちばっかりだったけれど、

何か得体の知れないものには毒されないかわりに

違うところが壊れそうになっている、みたいな感じ。

そういう人たちを心が弱いとは、わたしは呼ばない。

あたたかかった。愛を感じた。

あのひとに、ギュ、て、何度も抱きついた。

あのひとの肩をさすった。

あのひとの涙を拭いて、髪を結って、可愛い髪飾りをわたした。

あのひとの牛乳パックのストローをかわりにさした。

あのひとは、薬の副作用でほとんど食べられないわたしの食事に付き合ってくれた。

あのひとがわたしのために英雄ボロネーゼを弾いてくれた。

あのひとはたまにわたしのことを忘れてしまうけれど、

懲りずに話しかけると思い出してくれた。

あのひとが眠れなくて寝返りをうつ音を聞いた。

あのひとの手を握った。

もう二度とあのひとにはあえない...

そんなひともいる................

そこにいるひとたちが、とても大好きだった。

今も変わらず大好きで大好きで大好きだ。

 

多分、その得体の知れないもの、というのがポイントで、

これに毒されると、鈍感になって、生きやすくなるのだと思う。

でも、毒されること=大人になるということだとは思わない。

だからわたしはそれに毒されることからあらがい続けていたい。

 

毒されると、虫や鳥の声が聞こえなくなる。

葉っぱからチラチラ覗く太陽の光を美しいと思えなくなる。

四季の美しさを感じなくなる。出汁の味が分からなくなる。

呼吸の合わせ方が分からなくなる。風の匂いを感じなくなる。

ああ、早く、アスファルトの上ではなく、土の上を歩きたい。

色んな生き物と共存したい。肥料の匂いを嗅ぎたい。

わたしはそういうところにいたい。