変化の罪悪感

自分が正気を失う寸前の罪悪感を、一定の頻度で得られないと生きていけなかったのです。

6年間。

PTSD的症状が、癒えてきた気がします。

毎日自分が苦しみを味わっていなければという強迫観念がなくなりました。

そして発作的に息ができなくなることも。

いま、自分が幸せか不幸かなんてほとんど気にせずに生きています。

とてつもない幸せなことです。

随分苦しみました。そしてたくさんの人に嫌な思いをさせてしまった。

 

カウンセリングの先生はとても喜んでくれたけれど、

「その変化に対して、罪悪感はありますか?」と言われた。

 

ああそうです、わたしはわたし自身でかせていた罪が本当はなかったと知って急に楽になってしまった、生きていて心から楽しいと感じ、そう思うことに何の疑問も抱かず、いままでの自分で作り上げてきた地獄を簡単に手放して、何にもなかったかのようにのうのうと陽の光を浴びている、罪悪感がまったくないのだ、わたしの気持ちは何だったのだろう、生きていて教育を受けていて涙が出るほど嬉しかった、しかし気力は全くなかった、ふさぎこんではお酒や処方薬を多く飲み、そして自分では死ぬことができなかった、両親が悲しむという理由はわたしがただ死にたくないことの言い訳だったのかもしれない、

 

ちがうんだ、本当に言いたいことは、わたしはもう修復不可能だと思っていた、なのに自分で実感できてしまったのです、きっと立ち直れたのです