2021/11/06

たとえ帯状疱疹でバカ痛くても(今)

昔の自傷痕で長袖しか着られないことに毎年夏になると

悲しくなって涙が出ても

肛門筋が破壊されていて大きいほうをした後は

手で飛び出たものを戻さなければならなくて

その度に辛い記憶が出てきても

 

生きている。

生きているし、大切にされているし、

十分幸せだから、大丈夫だ。

目が見える、耳が聞こえる、

考えることができる、歩くこともできる、

心の底から笑うことも、怒ることも、泣くことも、

何でもできている。

必要なケアも受けられている。

恵まれている。

 

器が狭いので

痛みによって優しさを手に入れることはできなかったけれど

痛みによって他の人の気持ちを考えることができるようになった

それはとても幸運なことだ。

 

それに、様々な痛みに耐えながら生きている人が

思いのほか多いことも知ることができた。

誰かの痛みを理解することができることは

とても幸運なことだ。

 

何度も何度も今ここには存在しないあなたが現れては

私を恐怖に陥れるから

時々、あなたを呪ってしまいそうになるけれど

それは今の私の気持ちじゃない。

 

たまにおかしくなりそうになるけれど

今の私に戻って来れているから、大丈夫。

 

あなたはきっと他人にそうしてしまうだけの

苦しいことが沢山あったのだろう。

そう理解するよ。

 

もうとっくに許してるよ

 

 

 

2021/08/27

大学の後輩と伝えることの難しさや自分の根本にあるものの話しをしていたら

彼が「死に対して強烈な恐怖がある」と言うので

私が何年か前に臨死体験?のようなものにあった話しをした。

__________

極度のストレスと何年にも続く希死念慮から

一時期記憶が飛び飛びになっていたことがあって

意識が無くなるのが怖くて水を飲んでひたすら吐くということをしていた時がある。

それでもどんどん意識が身体から離される感覚になって

病院に運ばれることになるのだけれど、

救急車で運ばれる前、救急隊の人の声がだんだん遠くなっていって、

そしたら光の玉?みたいなのがふわーっとこっちにやってきて、

後から小さな光もいくつかやってきて、

気がついたら私は空を光と一緒に飛んでいた。

不思議なことに、光がやってきた時に「やった、ようやく終わるのだ」と何故か知っていて、

心底安堵し、人生で感じたことのない慈愛を感じた。

今まで慈愛なんて言葉は日常の中で使うことがなかったのだけれど、

あの時の感覚はこの世の言葉では慈愛としか言いようがなかった。

暖かいものに包まれた感じで、涙が出るくらいの嬉しさだった。

しばらくすると、光が、あれ?間違えたかも(本当にそんな感じ)という感じで

ふわーっと離れていって、どんどん空が遠のいていった。

「待って!置いていかないで!連れていって!」と思っても、どんどん遠のいて、

それから目を閉じた時の暗闇に戻り、救急隊の人の声も聞こえてきた。

__________

「あれが実際に体験した出来事なのか、それともただの夢なのか、

私の妄想に過ぎないのかは今となってはわからない。

でも、あれが死ぬということだったらいいなって思っていて、

自分の中の死はこういうものなんだって、、思いたいのかな。

だからね、私は死ぬのが楽しみなんだ。死が救済とかそういうことじゃなくて、

ただ最後のご褒美だと思うの。」

 

変な話しをしていることはわかっているので少し冗談めかして話した。

けれど後輩は、少しも私の話しを疑う様子がなかった。

彼があんまりにも真剣に話しを聞いてくれていたので、

自分の大切な思い出を冗談めかして言わなければ良かったと思った。

「目を瞑って想像しながら聞いてました。

それが死ぬということだったらいいですね。

僕は...僕が怖いと思っている理由は...

人に話すのは初めてなんですけど、言葉が難しい...

でも、話したいので話すんですけど...」

そう言いかけた時、別の後輩が部屋(オンライン)に入ってきた。

 

そのあと、彼は静かに、この話しは別の機会に話させてください、と言った。

話そうとしている時の緊張と息遣いが伝わって、

彼にとって本当に大切な思いなのだということが分かった。

 

それがずっと不思議だったのだけれど、これを書いていて思い出した。

彼は医者の息子だ。

私には想像もつかないほど、命のやりとりをしている人たちのそばで育ち、

また実際に見聞きすることがあったのかもしれない。

いつかまた彼の話しを聞きたいと思っている。

 

2021/08/12 サリンジャーに

最近、よく主治医が重度のPTSD患者のケアをしていた時の話しを思い出す。

先生はプロだ。人を見るプロだし、ついでに言葉を操るプロでもある。

いつも言葉を選んで話しをしていることがわかるし、

先生が選んで渡してくれる言葉に救われたりする。

そんな先生が間違いなく「僕が診ていたのは全員人殺しだったんだけど」と言った意味を

ここ数日ぼんやりと考えていた。

 

 

人類史を見れば人殺しをせずに人生を平和に過ごせる時代なんてほとんどない。

人を殺したことによる(戦争に参加したことによる)後遺症は

現代でこそその深刻さに目を向けられるけれど、

元々人類がずっと抱え続けていた問題だった。

その深刻さはPTSDと診断されたことのある私は少しばかり理解した気になっているけれど、

改めて考えると、まともな世界なんてどこにも存在していないのだと分かる。

 

そういう時、サリンジャーを読むと何故か少し楽になる。

何も解決しないのだけれど、心が落ち着く。

 

サリンジャーについて書かれた本を読んだ時、それを書いた人が

”青年期に私たちの誰もが自分は修復不可能なほど壊れていると感じる。サリンジャーの本を読むとそうした感情が少しばかり癒される。どうしてだかわからないけれど”

のようなことを言っていて、それにとても同意した。

 

私たちの誰もが壊れている。

 

それでいいのだな、と思った。

 

2021/08/04

ワクチンの二回目の接種が終わった。

二日目は痛みで起き、高熱頭痛関節痛で一日寝込んだ。

 

・二回目のワクチン接種会場炎上事件

一週間前の出来事。今では笑って話せる。でもここには箇条書き。

一回目の会場と同じく音楽を演奏する人がいたのだけれど

超絶不快極まりないノイズミュージック?みたいなのを15分間聞かせられた。

暑い・これから体調が悪くなると思うと気が重い・不快な音楽を聞かされている、という三重苦に

「これが拷問ってやつカナ...」と思った。(その場から動いてはいけないので回避のしようがない)。

そしてそれにブチギレた生徒が怒鳴っていた。

はじめは「何をしているんですか?」と聞いていたのに

答えず放置して後々「準備です」とか言っていたけれど

前衛音楽()を演奏していたことが発覚したので...。

いや、ブチギレない方がおかしいと思うけれど。

100人以上いる中でキレていた人が1人で良かったと思うけれど。

そして会場に沢山いた大人たち(仕事でいる人)は

その様子を見て見ぬふりをしていた。

しかも沢山いたのに騒ぎが大きくなってきたらどっか行った

面白いくらいサーッてどっか行った。

や、止めろよ、と思って近くにたまたま来た大人に

「止めないんですか?」と聞くと

嫌味ったらしく、わ、ざ、わ、ざ、遠回りして現場へ向かって行った。

 

なにこれ?

 

この大学は生徒を守ってくれる大学だからこそ

見て見ぬ振りをした大人たちしかいなかったことが悲しかった。

お前が助けろよって思うかもしれないけれど

私は身の丈に合わない介入をしてしまいがちなので

自分の身の安全が保証できる時にしか直接介入しないことを心がけている。

キレていた人は体格が良く私なんてすぐ吹っ飛ばされそうだった。

でも生徒のこと守ってくれよ。教員じゃなくてもさ。

いや、私が求めすぎなのかな?そうかもしれない。

 

帰りに腹が立ちすぎて仕方がなかったので

強い味のものをと思ってマックのポテトLサイズを買って食べた。

胃もたれして苦しくなった。

全然中和できなかった。

 

意味がわからなすぎて(なんでそんな音楽演奏するのに許可が出たのか、その後の大人の対応の酷さが)頭に血が上るのが分かった。

優しい後輩に話しを聞いてもらった。

「止めに行くのってやっぱり(勇気とかいるし巻き込まれたくないし)難しいことですよ」

って言われて、そうか、そうだよね、となった。

 

情けない先輩でくやちい。くやちいでしゅ。

2021/08/03

「年を重ねてお金をもっと自由に使えるようになったら10代〜20代前半の人の支援をしたい。あわよくば自分でもそういう場所を作りたいんです。」と言うと

「それが過去のあなたを救うことにつながるから?」と言われた。

そうです、その通りです。

 

今日初めて先生から聞いたのだけれど、

「僕はいつも変わらずここにいますから」と過去にさらっと言った先生でも

トラウマを持った患者と向き合うのは相当しんどいらしい。

 

誰にも話していないような暗い暗い部分を話すと

「その時のあなたは精一杯頑張っていたと思う」と言われる。

それに対して私は「分からないです」と答えるけれど

本当に分からない。けれど、ずっと誰かに助けてほしいって思って生きていた。

 

「世の中は本当に不平等だよね。周りから守られて育つ人もいれば、何にももらえないで大人になる人もいる。昔は死ぬまでに誰の人生も帳尻があって、トントンになるって思ってたんだけどな〜。」と先生が言うので

「トントンになると思いますか?」と聞くと

「ならないと思う」と先生。

それでも、

「私は私の人生で良かったです」と主治医に言うと

「えー!もうそこまできてるんだー!」と喜ばれた。

 

いつも先生に必ず言う。

「何もかも”ため”にするんです。今まであったこと全部自分の糧にするんです。」 

 

先生は人を殺すことが仕事の一つの人たちを多く診てきたという。

そういう人たちをケアするのは本当に本当に大変らしい。

「先生、でも人類史においてほとんどの時代ヒトは同族殺しをしてきたじゃないですか。そう考えるとよく人類は今まで生きてこられましたよね。」と言うと、

本当にそうだね、と。

 

ものの本によると、ある時代では些細なことですぐ死刑になるし

死刑の現場がエンタメ化していたことがあるらしい。

ものの本によると、ある時代では人を奴隷にして殺し合いさせて

喜んでいた人がいたらしい。

 

いのちの重さは時代や地域、環境によって目まぐるしく変わっていく。

 

そういう人たちの生き残りで、それでも生きるのだ。

もっと善い未来を作りたいから。見たいから。

 

わたしのいのち

 

己の醜さを知りつつも、それにできるだけ抗い、

精一杯の良心を持ち、自分と自分以外の人のためになることを考え、

できることを見つけてこなそうとするささやかな日々の、なんと尊く幸せなことか

 

地味だけれど確かな、強くはないけれど揺るがない、

長く続く弱火のような自分の心の暖かさを失わずに生きよう

 

2021/07/31

間違って死んだ時のために書き記していた日記が

立ち直る過程を書いた日記になり

最近は自分のためにつらつらと文字を連ねる日記になった。

他の人が見たらみっともない文章だと思うけれど

自分で自分のオシリを叩く。

朝からこのやるせない気持ちはなんだろうともやもやしていたけれど

他の人の残した文章で分かった。

それは、力を持った人に、私の命は最悪無視していいだろう、という風に扱われた、そんな年だった、ということだ。

直接的な言葉ではないけれど、直接的な態度で、強烈に感じた。

踏みにじられたのではない。”私”は見られもしなかった。

そして同時に自分の加害性にも気がつき、ためいきがでた。

 

力を持つ大人たちの壮絶ないじめはもうきっと終わりがないのだろう

 

我慢を命じ誰かの命を無視し開催した平和の祭典は

なんとなく信じられてきたであろう良い日本像を完全に打ち砕いた

 

昔の言葉が頭に浮かぶ

自分の声を失うと自分の未来は自分の手から離れてしまう

だから怒っているのならば怒らなくてはいけない

それを面倒だからとやめてしまったら

ほんとうにほんの一握りの人のためだけに世界は存在することになってしまう

 

わたしのいのち

 

最近自分の性格の悪さを感じる

後輩と話していて自分の狡さを感じる

ああ...

それでも、私は私にしかなれないので

精一杯の善良な心と理性で

少しでも善い人間を目指す

 

最善を尽くそう

 

2021/07/29

最近嫌なことがあった。

でも、よくよく考えれば、昔なんてこの程度の嫌なこと、日常茶飯事だった。

 

かつて志の高い先生がいて、その志は今でも次の世代の先生に継がれていっていて、

その先生たちによって作られた守られている空間は、

この世界で本当に稀有だということを改めて身にしみる。

 

 

最近、先生と話すことができる限られた時間、

精一杯先生に感謝の気持ちを伝えているのだけれど、

ちゃんと伝わっているだろうか。

 

卒業したくないな。

でも卒業しなきゃね。

 

とてもとても大切にしてもらった経験があるから、

私もこれからたくさんの人を大切にしよう。