2020/01/29
アベマTVと山本太郎さんを見ていると気持ちが少し楽になる。
いろんなジェンダーの人、いろんなジェネレーションの人が自分たちの観点から話しをしているのを聞くの、本当に面白い。
けどここでの討論はリベラルの集まりということをわかってないといけないとも思う。
そしてわたしが思ったのはフェミニズムという言葉に囚われるのはもうやめようということ。
フェミニストを語るミソジニーやミサンドリーがいる限り、フェミニズムという言葉の地位はあがらない。
わたし自身がジェンダーに対することで伝えたいことがあるとき、伝え方を失敗したことが何度もある。
反省してようやく最近、自分の生きずらさを伝えたいのならば、伝えたい相手の生きずらさをまず先に知っていないといけないと思うようになってきたんだよなあ、遅いなあ。
持つ者はいつでも持たざる者の存在に気がつけない。持っていたものを失って自分が持たざる者になって初めて持たざる者の存在とその悲惨さに気がつく。
その時初めて誰か(わたしでいえば両親)の犠牲の上で自分が持っていることに気づき、持たざる者との差は自分の努力でも何でもなく、ただ運が良かっただけということに気づく。
だから生まれながらに持っている恩恵は当たり前に自分のためだけに使うことはダメだよね。だってそう教わったもん。
もしわたしがお菓子十個持ってて、そのうちの五個を食べきれずに腐らせてしまう可能性があるとして、持ってないこがいたら、その五個をあげなさいって教わったけど、教えてくれた人はそういうことできてたりするのかなあ。