2019/06/18

お願いがある

放っといて

糸を、命を絶やそうとしている訳ではないのです。

 

いつか、もし待っていてくれたら、

ただいまって言いたいのです。

 

心から。

 

しばらく、社会や家庭に望まれるべき私を演じさせるのはやめてください。

そこに嘘があると、私は二度目の貴重な人生を台無しにする。

 

だからあなたがたも、私の望む人を演じないで。

それが私を苦しめるから。それが一番苦しい。

 

あなたを受け入れるには、私はまだ未熟です。

 

いつか

いつかあなたの胸に飛び込みたい

それが本心だとして

 

ただいまと言えたのならば

 

 

 

あなただけがわかるはずです。

もしあなたが私と同じ世代に生きたのならば、親友であったと思います。

 

結局のところ、あなたは偉大で、美しく、私には全て叶わない性質を帯びていて、眩しい。そんな存在です、

 

 

私が異端すぎるだけ。

 

だからどうか私を取り戻そうとしないでほしい。

自由にしてほしい。

そうして、やっと、息ができます。

 

見えない風を感じるように。

 

 

2019/06/17

真実は人を幸せにしない。

もう一度ちゃんと生きてみる。

二度目の人生、オールドミス、身体はまだ若いのに魂が枯れている

 

諦めざるを得なかったもの、捨ててきてしまったもの、全部取り戻したい。

感情さえも。

取り戻したいから、行かなくては。

2019/06/13 副論文

思ったよりも論文の進み具合は遅かったのだけれどなんとか終わりそう。

絶対に徹夜したくないマンなので、家にいる時間は論文ほとんどやらなかった。いつも図書館にこもってやっている。

人がいる空間の方が集中できるのだけれど、それって面白いなあ。

「ちゃんとしているワタシ」を演じるのが好きなのだと思う。

情報の遮断というか、SNSを一つやめた。一番重要なものだったのだけれど、生き方や考え方のアップデートをするためにやめた。また再開するかもしれないけれど、少なくとも二ヶ月はやめると思う。本当に人との繋がりに執着がなさすぎて大丈夫かしらこの子…。

どうしてやめたかというと、つまり私はそこで映画関係と新聞記者やジャーナリストをフォローしていたのだけれど、最近その人たちの言葉すべてを飲み込めなくなってきたから。

新聞で発言する時と個人が公で発言する時の違いについて…

 

だからニュースはネットと新聞で得るようにしてみる。

昨日論文書いていたけれどどうしてもintothewildが見たくなったので見た。見るべきだったんだと思う。

 

方程式のように明らかな答えが出ているのに、経験を伴わないと私は理解できない。

あのクリストファー・マッカンドレスでさえ”幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ”と結論を見出したのに、理解ができない。

でもきっとそうなのだろう。

私は取り戻したい。1度目の人生で失ったもの全て。

そんな自分が愛しい。本当にそう思っている。

ある意味で若さを手放したら代わりにとんでもないものが入ってきた。

23年間一度も成し遂げられなかったこと。

自分を好きになること。

私は今幸せだ。

2019/06/08 揺り戻し

ものすごい鬱です

 

えへへうふふの甘い時を味わっていたので尚更

私のゼミの仲間は選挙に行かないし、現政権に不満はないらしいので(って実際に言ってた)、ああそうですかもういいです...という感じ。

そんな人が表現するものなんて見たくない。そしてそんな人が商業的に成功を収めたらと思うと、もうだめです、現実と向き合いたくない。

でも違う全然関係ないゼミにも顔を出していて(しかも三、四年生のどちらにも)おっ、これは!っていう人たちとようやく出会えた...!

最近は人と出会う体験が多いなあ。

昨日は関係ないゼミの人と最近の話題(年金とか子どもを産めとか、あと韓国の徴兵制度とか)についてお話ししてみんなで憂鬱になって帰った。

この世界を正しく認識しようと試みると人は壊れてしまうのかもしれない。

2019/06/07

久しぶりに会った人、とても大好きになった。

恋愛的でなく。

ずっと仲良くしていたいなあ。

ロバート・グラスパーを勧められ、シビル・ベイヤーを勧め、津原泰水のelevenを貸した。

大学で授業の移動時間に聞いていると、彼が勧めたというだけで彼の存在を近くに感じるから不思議だな。

やっぱりあの時会ったのは偶然じゃないのだ〜〜〜

 

恋愛的でない甘い日々が一番難しいから好きだ。

彼と再会してからずっと甘い日だ。

恋愛をばかにしてるんじゃない、自分にはできないと劣等意識すらある。

でも精神的に人と繋がることはできる。

昔一緒に暮らしていた彼女を思い出す。

もう悲しくなったりしないよ。

2019/05/31 ここ数日

私が自分で長所だと思っているのが感受性で、どれだけ「適応するためにもっと感じないようにした方がいい」や「繊細すぎる」と言われてきても大事に持っていたのだけれど、最近それがなくなってきていることに気がついて沈んでいた。

多分これは性犯罪のことだったりを勉強する中で、自分が適応したのだと思う。

ずっと苦しい思いばかりしてられない、と思う。

明らかな有罪にも関わらず、無罪判決が出た時、被害者に感情移入しないように訓練してきた。その結果かな。

映画をみて感情の起伏がなくなってきているのを感じる。

焦って一日に三本みて、また絶望して、次の日の授業に出られなかった。

やりすぎはいかんですなあ...。

 

少し自分の関心があることと距離を置こうと思っている。

 

映像メディア論という授業では、毎回質問や感想を自由に書いていい紙が配られる。

毎回思うことがあるので、お手紙ですと称して授業終了後に先生に渡す。

次の週に私の意見や感想(または映画に関するただの雑談)にレスポンスをくれる、馬場さんタイムができるようになった。

えへへ。

 

たまにいくつかの授業で先生を独り占めしている感覚になる。

積極的に前に座り発言すると、先生たちは質問に指名してくれるようになるのでそれが楽しい。

映画のこと話すの、楽しいなあ。

 

ああ、これは決められていたことだな、と思ったできごとがあった。

デジャヴじゃないのだけれど、乗馬クラブで社長さんから「今日君と会って話をすることは決められていたんだよね。」と言われた時の感覚と一緒で、何かがあるのだと思う。

いつものように図書館で映画を見ていると、大学の同期と会った。

私はいつでも人の顔を見ないで歩くので、知り合いがいても気づくことは少ない。

なのに”見させられる”感覚で、目があって、わ!久しぶり!となった。

そのあとももう一度ぶつかる寸前ですれ違った。

帰り道、”私が彼に連絡を取って(決められている)会う””でも彼が会いたくないと言ったらそれ以上はしなくていい”みたいな感覚で、勇気を振り絞って連絡すると、承諾してくれた。(こう書くと恋愛的な感じがするけれど、そういうではない。)

何を言わなきゃいけないのか、いまいちわからないのだけれど、今度会って話すときに見つけられたらいいなと思う。

もっとも、乗馬クラブの社長さんには二週間後に感謝したように、その時にわかることではないのかもしれないのだけれど。

 

 

 

2019/05/26

最近のLGBTと人権問題をテーマにした映画がたくさん作られすぎている、金儲けしてやろうという裏側を感じて気持ちが悪い、という学生の人がいた。

なるほどと思うと同時に色々考えたのだけれど、映画が作られる背景に何があるかということを考えることは大事だと思った。

その人が言っていたのは、高齢者の自動車事故が最近とりだたされているのは、自動運転や電気自動車が発展してきているからだ、とか。

 

大学のトイレの色問題も、すごく悲しくて怒りが芽生えたけれど、私が勉強していなければ気づくこともできなかっただろう。

現状に目を逸らすことなく、自分にできることをひたむきにすることしかできないよなあ。

この怒りを自分の中に持ち続けることにしよう。

 

留記。ジョン・カサベテスの『オープニング・ナイト』と、中国映画『流転の地球』、マッツ・ミケルセン主演の『ポーラー 狙われた暗殺者』を見た。