2018/09/12 たびおわりました

震災の影響により職を失い戻ってまいりました。

マイナス20度の北海道のときにまたおいでよ〜働こうよ〜と言われたけれど、流石に生命の危険があるのできっと働くのは難しいことでしょう。

とにかく、自分にできることといったらただ淡々と日々を重ねることです。

明日性犯罪のシンポジウムがあるよ〜って知人から連絡きたから行こうかな。

 

 

北海道の暮らしはとても楽しいものでした。したことないことしかしていなかったから。

そして自信もついた。今までから比べたら劇的な変化があった。

 

ありがたいことに職を失った翌日にはまた違う仕事のお誘いが立て続けにあり、とりあえずなんとかなりそうです。

 

震災のことを考えても(震源地が近かった)、ものすごい経験をしたことには違いないし、後ろ向きにはどうやっても考えられない。すごくいい時間を過ごしたと思う。1週間しかいなかったけれど。

 

ぐひゃあ、疲れた!

面白い話たくさんあるので、ちょこちょこ書いていこう。

今日はお休みなさい。

 

なんとかなってますでしょうか。

2018/09/02 たびたちます

昨日のお芝居のワークショップ、めちゃめちゃ楽しかったです。

新国(という名前を出していいのか気が引けるけれど)出身の人たち、めちゃめちゃ最高でしかなくって、尊くてお話しできてちょう光栄の極み。

お話しすることって一番楽しいことなのかもしれない。

 

さて。

北海道にいざ旅たつときがやってまいりました。

どうなるかも分からない、この身ひとつで飛び込んでまいります。

まずは飛行機に乗り遅れないこと。無事つくこと。

大きな怪我をしないこと。向こうの人とたくさんお話をすること!

 

問題はWi-Fiがあるかないかなのだけれども。

車で10分のところにスーパーとコンビニがあるんですって。

すごくワクワクする。だってそんな環境に身を置いたことなかったもの。

それで馬と!暮らせるって!

ゆっくりしてきます。

 

2018/08/31 情報過多など

昨日、なんか感極まっていたんでしょうね。

恥ずかしい。でも、消さない。

これがわたしでござんす...

 

ずっと女性差別男性差別について考えていたら疲れてしまった。性別差についてはかなり学んだつもりだけれど、女性としての意見や男性としての意見ってなかなか全部が全部賛同できるかというとそうじゃない。じゃあ自分はどの立場なんだろうと考えている。未だ分からず。

昨日興味深いスピーチをネットでみた。韓国では若い男性がいま男性差別について訴えているという。兵役や、デート代の負担、家族を養わなければならないことについて。スピーチしていたのは男性で、その根本にあるのは根強い女性差別があったからだと言っていた。今まで長い間女性に兵役や社会的地位や権力を与えなかったのは男性で、それは女性にその能力がないと判断していたから、と。

で、若い男性が抗議しているのは理にかなっていて、長い目で見れば所得の大きな差があるが、30代までの差はそこまでない、これから経験するであろう格差をしていないからだって。

 

げんなりする出来事があったニュースを見た。

www.asahi.com

これ。

言葉を失った。

お医者様に関しては言語道断だけれど、こんなことってあっていいのか。

やばすぎません?どうなってるの。

 

ひどく消耗する。

 

疲れることを自分からしてるんですよ。わかっているでござる。

政治の話は見ているし、やるせなくなるニュースも目を通してます。

テレビを見ると他の人の視点を直接受け取ってしまいやすくなるので、ネットで。

ほんと、ひどいことばかりだ。

だからといって、もう疲れたし嫌な気分になるからやめた、はしたくないんだよなあ。

 

でも。

北海道で馬と暮らす生活だけ、試しに自分を情報という外界から隔離してみて、のんびり楽しもうと思っている。自分だけのとっておきの時間を一度作ってみたかったのだ。

きっと楽しい。

朝は5時前起き。夕暮れには眠る。その生活の美しさを味わってくる。

 

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2018/08/30 夏の思い出

今日、マジで何もしていない。

お昼に病院に行って薬をもらってきて、家に帰ってゴロゴロしていた。

マジで何もしていない。先方から仕事が大幅に遅れると連絡があり、一度ストップして欲しいとのこと。

いつも休みの日にしていることは、料理を作ったり、映画館にこもったり、美術館に行ったり、小さな集まりに参加してみたり、本を読んだり、パソコンでこうして文字を打ったりしている。

北海道に向けて節約しているので、どこかに行くのには気がひける。

で、していることといったら、ユーチューブでぼくのなつやすみ4の実況をひたすら見ている。

 

今年の夏はとても充実したものだった。

一年ぶりくらいにひとときちんと関わった。

や、もしかしたらそれ以上の年月、関わりを避けていたのかもしれない。

闘病、マジのマジでとても辛かった。病気になるべくしてなって、なってよかったと思うけれど、よく生き残ったな。まだ治療は続いているけれど、それもあと少し。10月まで薬を飲まなきゃいけないのだけれど、それ以降西洋の病院に通うのは不眠症の薬を出してもらうのと、大学に復学して、やりたいことが精神分析学や心理学に関係しているので、学問的なことで相談するために通うのだ。楽しみ。

徐々に回復してからはとにかく本を読んだ。

命が尊いなんて嘘で、ましてや自分などと思っていたけれど、本を読むとどうやらそうではないらしかった。それで考えた。もし、今までの環境によって”洗脳”されているのなら、そこから脱出できるのかも。

そしてどの本にも脱出することは思ったより簡単にできるらしかった。

あらかたやさしい学問の本を読んで思ったことは、あらゆる知識はひとと関わらなければ自分のものとして会得できない、で。

めちゃめちゃ喋るの嫌だったのだけれど、どうにかこうにか周りの助けがあり、関われるようになった。

 

__________

明日を生きるために今日を生きていない、今を一生懸命に生きているひとたちと関わらせてもらっている環境が大きかった。引きこもり生活から、朝5時に起きててっぺんを超えてから寝ているような生活に変わり、一生懸命に自分のことを話すひとをみていると、今までの自分の考えはやっぱり違うのかもしれなかった。

 

夏に1週間以上一緒にいさせてもらったこども(以下彼ら)は、びっくりするくらい面白かった。

控えめであんまり話さないこに「一番好きな教科は何?」と聞くと、「理科」とのこと。「理科の中でもさ、生物とか物理とかあるじゃない、その中では何が好き?」と言うと、「DNAがすごく好き!〜〜〜とか、〜〜〜とか、〜〜〜の構造が〜〜〜〜〜〜〜」と熱弁し始めて、満点を取ったこともあると言った。そこで違うこが話に入ってきて「なるほどね〜」と言いはじめて、もう全然話に入っていけなくなった!

毎日体調を聞くのだけれど、一緒にいて数日たって「実はずっと熱がある」ってカミングアウトしてくれた。ものすごい心配したのだけれども、教えてくれて嬉しかった。

そして暑い中やり遂げたんだよなあ。

 

フォートナイトというサバイバルゲームの実況で”カーモンベイベアメリカ〜”みたいなダンスがあって、彼らといる間に何気なく踊ったら、みんなが知っていて歌い出して驚いた。

80年代以降の古い曲だと思っていたのだけれど、今の曲なんだと知った。笑

あるこはそれを聞いた日、一日中「カ〜モンベイベ〜」と歌っていた。それも六本木ヒルズで撮影しているときにも。笑もちろん迷惑にならないくらいの大きさで。

ああ、そうだ、夏休みがないって言っていた。”夏季自宅学習期間”らしい。そしたら結構みんなそうみたいだった。

勉強が嫌で仕方ないって言っていたので(聞けばそれは壮絶に勉強していた)、「めぐちゃんはね、19歳のときまで勉強なんてしたことがなかったんだよ。SVOCの意味がわからないくらいアホだった。予備校入ってね、そしたらとっても楽しくなっちゃって、いまでは勉強が大好き。」と言うと、そこにいた彼らはびっくりして口々に「絶対勉強を好きになることはない」って断言するものだから、「絶対勉強好きになるよ、勉強って実は一番の贅沢なんだ」って言った。

彼らはとても仲が良くって、最後Tシャツにサインし合っていた。

わたしも背中に書いてもらったのだけれど、みんなで爆笑しながら書いていて、彼らは「お別れしたら見てね!それまでみちゃダメだよ」と言った。

彼らとの約束を守り、家についてから寄せ書きをみると、「本当にありがとう!絶対映画監督になります」や、「また会おうね!」や、「勉強頑張ってね。一番贅沢してね。」などと書いてあって、泣きながら爆笑した。

 

チームの彼らを支えるにあたり、おとなのリーダーの人と、サポートのわたしの2人体制だった。どこのチームも一緒。でも、彼らが帰ったあとおとなたちだけで2時間くらい話し合っているのでチームのこと以外も知ることができる。話し足りなかったりすればご飯を食べながら話す。

そこにいるおとなはとっても素敵なひとばかりで、「こうやってテーブルで囲んでみんなでご飯食べるっていいですねえ」って勝手に口からこぼれた。(いつもはホラーゲームの実況を見ながらご飯を食べているので。それはそれで楽しい。)

この間のワークショップで、素敵なおとなのひとに「ずっとこういうことして暮らしていきたいです」って言ったら、「もうやってるじゃない〜」と言われた。

 

また、舞台の照明オペをやったこともとても大きかった。誘ってくださったのは14歳のときにとてもお世話になった、これまた素敵なひと。

命をかけているおとなたちと出会った。言葉にすると浅はかになってしまうけれど、魂の会話をしていると思った。いまだったらもっとうまくやれたかもしれないけれど、そのときのわたしは120%の力を出し切ったと思う。ミスなど、ちょっと、いや結構悔いはある。もっとできたし、やりたかったなあ。

そして押し殺していた、波長を合わせる作業を自分からできるようにした。葉っぱの一枚一枚の揺れを感じ取ったり、空気を知ろうとしたり、五感をとにかく研ぎ澄ますこと。それをすると日々の暮らしがきつくなる。ちょっとしたことがすぐわかるようになったり、他人の感情に呑まれて息が詰まったり、具合が悪くなったりするのだ。

本番の途中では嘔吐が止まらなくなったりした。ほかのひとの波長に完全に呑み込まれてしまった。その本人に「やれると思ったからやってる!やれないと思ったらやってない!わたしはやる!」と逆ギレしてしまったりした。ただでさえ”見えないもの”を形にしてみせるすごい集団だ。呑まれてたまるかと思ったし、もっと一緒にいたかったから、最後までやると決心した。

ゲーゲーしていたら、「苦しいこともあると思うけれど、めぐちゃんの持っているものは捨てちゃだめだよ」と言われた。心にずっと残っている。

ええいままよと芝居時代のことを思い出した。唸り声をあげてストレッチをして自分に集中していたので、同じようにした。服装ももうどうでもいいので、申し訳ないと思いながら長袖を脱ぎ、包帯を巻いた。

階段なしのロフト、三畳くらいのところで、音響のひとと5日間一緒にいた。わたしの精神が脆いことをすぐにわかってくれて、メンタルケアをしてくださった。とても深くお話しをした。

一緒に暮らしたみたいだった。だんだん心が繋がっていって、話し合ってタイミングを合わせるのは初めだけになった。

客電が消えて、真っ暗になる。でも初めのタイミングでミスすることは一度もなかった。

おこさんにプレゼント差し上げたり、わたしが大好きなひとのインタビュー雑誌のコピーを持って行って見てもらったり、すごくうっとおしかったと思うけれど全部真剣にまっすぐに受けとめてくださった。

やられた!と思ったのは、千秋楽の、本番が後数分で始まるとき、おもむろにプレゼントをくださったこと。嬉し悔しで、いや、とっても嬉しくって、何個もプレゼントが入っていて、それ全部に意味があることがわかって(だって渡す袋ですらーわたしはロシアの映画監督のDVDを差し上げたのだけれどーロシア語が書かれた袋だったのだ)、とにかく絶対に成功させる、と思った。

素敵すぎてあんまりにも悔しかったので、嫌だろうなあと思いつつもこんな嬉しいこと共有せずにはいられず、打ち上げで彼がどんなに素敵か(そこにいるひとはわかっているだろうに)力説した。

最後に、「こういうの嫌いなんだけど...」と言われたので謝ろうとしたら、それじゃなくって、名刺を渡すことをあんまりしたくないのだけれど、と名刺をくださった。始発の電車で家について速攻お礼のメールをしたら、これまた速攻で返信がきて、それで、長い長い文章で、泣いちゃった。

 

誘ってくださった素敵な女性と会うたびにハグをさせてもらった。もう大好きすぎてシッポがあったら常にブンブン振っていたと思う。またお会いしたいなあ。

お二方の舞台はあんまりにもすごすぎて、すごすぎました。すばらしい舞台を照明のミスで壊さないかのプレッシャー...でもとても楽しかったなあ。

 

さらに嬉しいのは、そこで出会ったひとが今度小さなワークショップに誘ってくださったこと。、、、わたし、芝居をするのだ。

芝居なんて何年ぶりだろう!おっかなびっくり、でもワクワクする。

もうやることはないと思っていたし、いるのだけれども、ちょっと勇気を出してやってみる。そのひとはとても面白いひとで、とにかく光属性なのだ。またお会いできるのが嬉しいなあ。

これは残暑の思い出になるな。

 

 

あと、高校生のときに一番仲良くしてくれたおとこのこと遊んだ。

新宿待ち合わせで、わたしはあんまり得意ではないので、調べて穴場そうなところにしてもらった。

伊勢丹の屋上庭園はおすすめ。のんびりできるし、芝生にごろっと横になれる。

彼はもちろん既に働いていて、研究職に就いていた。大学で専門でした勉強の話や、今の仕事の話を少しだけ聞いた。

「高校のときわたし迷惑ばかりかけてしまった」と言うと、彼は「迷惑と思われていることが迷惑だ」と言った。だから、「楽しかったなあ。」と返した。

高校のときとは全然違う話しをして、楽しかったなあ。

 

__________

怖いことがある。自分が楽しかったり、言われて嬉しかったことをそのまま受け取ることが怖い。何度か書いた文章を見返してみているけれど、これがほんとうにあったことなんて信じられない。

嫌なことはすぐ受け取れる。自分を責めることってすごく簡単だ。

喜びを受け入れるってすごく怖い。だって、ほんとうじゃなかったら、どうしようって思う。

怖いことを克服するのにもやっぱり勇気が関わってくる。

ねえ、今書いたこと、全部ほんとうのことだよ、と自分に言ってみる。

ほんとうなんだ。ほんとうにこの夏に起こったことなんだよ。

 

今書いてきた思い出は、気軽に会ったりすることはないだろうし、いつも一緒にいるひとたちではないひとたちだ。

もう会うこともないひともいるだろう。

 

あれ、今までと思っていたことが変わっている。

 

 

命って尊いし、だから自分の命も尊いし、

ひとと関わるのって楽しいし、生きていてもいいんだし、

生きることには責任があるし、

そして幸せでいていいんだし、幸せじゃないか。

 

 

最近ずっとこんなことばかり書いているのだけれども、23歳、気がつけたのがとにかく感動の連続で、だからずっとこんなことを書いている。

 

2018/08/29 父など

 

この間実家に帰ったとき、父が夏季休暇だったこともあり2人で出かけた。

父はとても貧乏な家庭で育った。お父さんが病気だから。

父の願いは、自分のこどもにはお金で苦労して欲しくないということだと聞いた。

今まで共通言語がほとんどなく、しろうともしない関係だった。

よく話すようになったのは、わたしが病気になってからだ。

父は自分のことを話すようになった。

この間、父がいまどんな仕事をしているのか詳しく聞いてみた。とても丁寧に説明してくれた。

 

父は昔とある企業のルマンのエンジニアだった。バブルが崩壊してから、ルマンのエンジニアとして働くこともできたみたいだけれど、こどもを育てるために企業に残って少し違う仕事をしている。

「もしわたしたちがいなかったら、ルマンのエンジニアの道を進んでいた?」と聞くと、父はしばらく考えてから「うん」と言った。

 

高校は企業が運営しているところに入った。そこでは毎月おこずかいがもらえたんだと嬉しそうに言った。(でもそれは生活用品で消えるくらいの額)

自動車を一から組み立てるコンテストで日本で二位だったと言った。よく覚えていないから、間違っているかも。一位だったら世界大会に出られたのに、と言っていた。

高校ではバスケ部で、副キャプテンだった。父の名前には二という文字がある。だから父はいつも二番なんだと言った。

 

父はテレビが好きだ。わたしは全然好きじゃない。

でも父がテレビを見て笑っているのをみるのは好きだ。

 

父はたまに映画を見に行く。

この間母と『ミッションインポッシブル』をみにいったそうで、まあまあ面白かったと連絡がきた。

 

家のローンはとっくに払い終わっている。一軒家でなくマンションにしたのは、こどもの養育費を優先したからだと勝手に思っている。

 

「人はいつ死ぬか誰にもわからんさ」って言ったら、「親より先に死ぬことは許さない」と言われた。母と同じことを言う。ほんとにわからないことだよと思ったが、「看取るつもりだよもちろん」と返した。

 

実家に帰ると、母が買い物に行くときはいつも車を出して荷物を運ぶ。

休みの日、誰かが出かけるときは、玄関に行って見えなくなるまで手を振るし、帰ってきたら玄関まで走って迎えに行く、まじで。(これはわたしが出て行ってから始まった家族の習慣らしい。帰るといつもびっくりする。)

 

あんなに仲の悪かった家族が、とても仲良くて帰るたびに毎回驚く。

 

「いづ(姉)がさあ、この間パパの部屋にきてさあ、よかった、いるって言ってきたんだよ。いなかったら寂しい〜っだって。」って言った父の顔、忘れられない。

というか、いつの間にそんなに仲良くなってるんだよ!と突っ込みたくなる。

帰るたびどんどん仲良くなってるんだもの。あの家族。

とてもほほえましくて、いまわたしもこの家族の一員だと思うとありがたさの極みでござる。

 

でもね。みんなわたしのことを孫だと勘違いしてない???

帰ったら、父は「欲しいものない〜?何でも買うよ〜」って言うし、母はお寿司ばかり買ってくる。

父に「特にない」っていうと、なんかしょんぼりするのが面白い。

あ、この間ドラえもんのおもちゃ買ってもらった。ポケットからラムネでるやつ。

そういえばお母さんにもドラえもんのフィギュア買ってもらったな。

チョコエッグで誰が入っているかわからないやつで、お母さんに選んでもらったらドンピシャでドラえもんだった。

ドラえもん、大好きな作曲家さんが好きということを知って以来、見かけたらつい買ってしまう。ドラちゃんがいると心が落ち着く。

 

 

父ともっとこれからたくさん話がしたいと思っている。

父の今までの人生ってどんなんだったのか、聞きたい。

 

 

2018/08/28 夏休みの終わりに

夏休みが終わるころ、小学生の自殺率が上がる。

オトナたちがそれを考えて、いろいろ文章を書いている。

例えば、これ。

note.mu

 

これをみて、わたしも思ったことがあった。

 

 

わたしの住んでいたところは、小学生から中学生になるとき、学区の境目だったこともあって、小学校の友達と別れて別の中学校にうつった。

 

小学校のは、いつもいないこの悪口を言ったり、死ねという言葉は頻繁に使われていたし、いじめは当たり前だった。

順々にみんなをいじめる女の子がいて、遊ぼうといわれて行ったら縄跳びでぐるぐる巻きにされたことがある。いじめられた期間はそう長くなかった。

でも、そのとき転校族の男の子からもいじめられていた。ボットン便所って呼ばれていて、いつも執拗以上に絡んできて、とても辛かった。彼がまた転校するときに思いがけず告白されたのだけれど、それがショックだった。好きだからいじめてましたって、許されることじゃない。とても辛かったのだ。

友達はいて、いないものだった。

親に相談して、親が先生に言ったら、「あの子は耐えられるので大丈夫」って言われたみたいだった。

事実として、いじめられていたのはわたしだけじゃなかった。ほとんど女の子はいじめられた経験があると思う。

 

6年間ってすごい長いもんだよな、と思う。

 

どうしてわたしが耐えられたかっていうと、学校が終わってからはたくさんの習い事があって、何より本がそばにいてくれたからだった。

お母さんはわたしが好きな本を図書館から借りてくれた。

ダレン・シャン』という本が一番ハマった本だった。児童文学のダークファンタジーなのだけれど、ダレンはいつも過酷な試練を苦しみながらも立ち向かっていて、それに励まされていた。他にもいろいろなダークファンタジーを読んだ。『シルバーチャイルド』とか、『セブンタワー』とか。映画で『ハンガーゲーム』とかが好きなのってその頃の名残なのかもしれない。

土曜日の午前中は絵を習いに行っていた。そのあと、ダレン・シャンが書いた『デモナータ』というもっとダークなファンタジーにハマって、ベランダの近くでパンを食べながら本を読んでいる時間が好きだった。あまりにも好きで、デモナータ通信というものが発行されていたのだけれど、感想を書いて送ったらわたしの名前が載っていて(!)、とっても嬉しかった。

学校で嫌なことがあったら、心の中で魔術で全員ぶっ殺していた。万が一のために、黒魔術の本で覚えた呪文を暗記していて、怖がらせてやろうと思っていた。しなかったけれど。

クリスマスの日、お母さんが『ダレン・シャン』全巻分を買ってくれた。それまで図書館で借りていたので、いつでも読めるようになって嬉しかった。

それからは、学校での休み時間、とにかく本や偉人漫画を読みに図書室にこもっていた。誰にも嫌なことをされないし、嫌なことをしなくていい、とっておきの時間だった。

 

ようやく小学校を卒業して、嫌だなあと思って入った中学は、とにかくめちゃめちゃに楽しかった。誰も死ねって言わないし、誰もいじめとかしていないし、何よりオンオフをつけるのがみんな得意で、遊ぶときは遊ぶし勉強するときは勉強する、賢い人たちの集まりだった。そして親友ができた。優しくて美人で、ダンスが得意でとにかく賢い人だった。その子と対等でありたくて、わたしもやりたいことをやろうって思って、お芝居のオーディションを親に内緒で黙って受けて、受かって、お芝居ができるようになって。

2時間目まで授業を受けて、それから本番のお稽古に向かったり、楽しくて仕方がなかった。

最後の体育祭、楽しかったなあ。最後の競技がなんだったのか忘れたけれど、みんな雄叫びをあげていた。

高校受験のときなんて、前期試験で落ちたわたしは後期に向けて勉強していた。わからない問題は席の近くのこが教えてくれた。そして無事に後期で合格した。

誰も排他的にしない中学校だった。

 

もし、小学校と同じ環境で中学を過ごすことになっていたらと考えるだけでも嫌だ。

小学生が悪いんじゃないなあとも思う。そういう環境にしているのって、結局オトナたちだ。

逃げる場所があったとしても、そこにいつまでも留まることができない。

図書室は逃げる場所だったけれど、いつまでもいられやしない。

逃げてもいいんだよって言われても、逃げる場所なんてこどもには全然ない。

 

わたしも古賀さんみたく思う。

23歳になったら、逃げられる場所を見つけたよ。

そして自分の足でたくさんの場所に行けるよ。

面白い人たちがたくさんいて、いろんな世界があるよ。

 

 

2018/08/27 たいせつに

このところ、性行為を強要される夢を見る。本当に、順々に夢の中に出てくる。

でも、絶対にいいとは言わない。逃げるし、とてつもなく怒るのだ。

ひとりに対して今のところ1回ずつしか見てないけれど、自分の中の尊厳を取り戻しているのだと思う。

起きたときに、そんな自分が誇らしくなる。

昔の自分とは全然違うのだ。

毎朝時間があればシャワーを浴びるのだけれど、その時に「良い体だ」と思う。

 

昨日の彼に言われたことは「過去の嫌な感情は置いていくことができる」ということ。

彼に言えてとても嬉しかったことは、「2ヶ月前にあなたと会ったときよりわたしはパワーアップしているし、これからももっと良くなれると思う」ということ。

とっても難しいけれど、1年くらい頑張って自分と向き合い続けてきたら、頭が割れそうにおかしくなることもなくなった。

朝起きたら、「死なないと」ではなく、「目が覚めたなあ」。

それに、成り行きで自分の体をいいようにされることもなくなった。そんなのおかしいって言って拒むことができるようになった。そしたらそういう人が周りからいなくなった。

あと、もうひた隠しにせず、自分は傷ついてきたんだって言えるようになった。

周りにできることが今できないかもしれないけれど、それでも自分のことが好きだって思えるようになりつつある、と思う。

 

思えば体の痛みがなくなった。

あとから考えればとても辛いものだった。

あれは、わたしの体が、もうやめてくれ、という悲鳴だったのだと思う。

今まで勝手に課せていた生きるための罰ノルマを廃止するのは本当にびっくりするくらい苦しかった。痛みが欲しくて、それは自分の中の一番の欲求になっていたから。

自分では対応できないのに自分にかかった重いものを紛らわすために他の痛みが必要だったから。

ランニングをしていたのは、苦しくなるのが好きだったから。ランニングだったら周りの人は心配しないし、褒めてくれるから。

 

前考えていることは、ずっと一貫して自分は生きている価値のない存在だから誰から何をされても仕方ないんだ、だった。

 

今考えていることは、前の自分のような人をできるだけ少なくしたい、ということ。

でもそのためにできることって今全然ない。だから少しずつもっと良くなってできることを増やしていこう、と思っている。

できることしかできない。

 

もう絶対に昔のわたしみたいな人を生み出したくないのだ。

 

過去の苦しみから解き放たれたのだと思う。

暗闇の中でしか生きられなかった。光ってとっても眩しくて、そんな中にいる人たちを恨めしく思ったりした。

 

いま臆さず光の中にいる。

何にも目をそらさない。あったことをなかったことにしない。

凛として、光の中を歩み続けたい。

 

自分が好きよ、きっと。

ようやく好きになれた、かも。

 

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