2019/07/19

またきっと病院に行かなければいけないと思う。

 

二日間続けて、朝起きるとき白目をむいて倒れてしまう。

ごめんなさい、分かっている

無理しすぎだよね

休まないと

ああ意識が朦朧としていつダメになるかわからない

とりあえず休めるのは八月後半だ

休めないけど、大丈夫

大学がない時間とにかく休息に回そう

できんの?また違うことするんじゃないの?

来月のシンポジウムまた予約しまくって

自分に怒らなければいけない

 

誰かが休めることがわたしにはできない

意識が自分エオtsもっtrtstrんし

区ysぢい区ysぢい悔しい

ツィピングづらもうまく打てない

 

わたしは負けない

全てにおいて

2019/07/18 ずっと走り続けるために

無理はしない、というのが回復に向けて自分と約束したことだった。

今まで無理をしていたのは、自分が憎くて無理をさせていたのだから。

今大学受験生並みのスケジュールをこなしている。

でも前とは違って自分が好きだ。

なるべく無理がないように生活してきた

というのは少し違くて、実は体にガタが来ては

マッサージ屋さんに駆け込んだのが今月で3回だ。

来月の目標は、駆け込まないこと。

わたしにしかできないことを見つけた。誰もやりたがらないこと。

そしてできるかわからないこと。

全ては自分がどれだけ努力できるかにかかっている。

今月は先月よりストレス耐性を上げるためと自分の発言に他の人がどういう印象を持つか知るために4倍のストレスを自分に課してみた。

心は元気いっぱいだけれど、体がついていかない。

ただ二週間すれば大抵体は順応してくれるので、ほんとうにあともう一踏ん張りだ。

今月頑張って無理しすぎているようならまた先月違う道を考える。

筋肉が攣っていて痛くて起きた。

少し昔のことを思い出して一瞬だけ戻った感覚で

気がついたら「助けて」と

助けるよ。わたしがやるよ。

だから過去のわたしは安らかに。

もうひとりぼっちじゃないよ。

たくさんいるよ。ほんと。

 

7年来の友人の男の子がさ、言ったの。

やっぱり転んでしまう経験もなんどもしていて、わたしの腕と脚にある傷が一生ついて回ることに、いつもだったら毅然とした態度でいられるのだけれど、酷く落ち込んでしまったとき、

傍にいてくれて、彼が自ら見て、傷跡にそっとキスを。

それで、別に何が問題があるんだろうねと言ったよ。

だからまた立ち上がって走れる。だから絶対に大丈夫。

転んでも手を差し伸べてくれる人がたくさんいるから。

そういう人たちとこれからも生きたい。ずっと遠くまで走り続けたい。

2019/07/17 記しておくことが多すぎる

授業中先生が正面でうたたねしている

ああ、何と幸せな光景だろう

きっと私以外の人たちは、これが当たり前の光景なので

特段幸せとは思わないだろう

それが嬉しいのだ

当たり前のような幸せに気づかず過ごす人がもっと多くなりますように

 

 

君は今の世界にいるはずの人間ではなかったと自分のことを言うけれど、

結局のところ僕と同じ上部構造に位置する人間なんじゃないかな、

もともとの世界はこっちだと思うよ、と言われて

何となくドキッとした。

上部構造という言葉、社会通念上で使わざるを得ないけれどほんとうに嫌な言葉。ほんとうに使いたくない。もっと他の言い方を探そう。

一番多感な時その世界にいなかったからきっと好きな世界は今いるところではないのだと思う。

彼はすごく仕事に誇りを持っている人なので、尖っていて自分の周りにこういう人がいてくれて嬉しい。

 

おこがましいけれど、自分がもう1人欲しい。

時間がもっと欲しい。

7月前半の活動報告

ニューヨーク州立大学で韓国の文化を研究している女性と毎日連絡を取っている。英語頑張る

・ゼミの休憩時間に隔週社会問題について15分プレゼンする許可をもらえた

・アルバイトを削り、人と会うことを増やした

・企画書最終稿提出

・カメラ購入

・展覧会三つ

・一日一食生活から二、三食へ

 

昨日のスケジュール

9:00〜18:00 大学

18:30〜24:00 アルバイト

ギーリギリでいーつも生きていたいから〜

2019/07/07 個人的な、あくまで個人的な。

私は知っている。

私はあなたのことを知っている。

あなたが言ってくれたから、あなたのことを知っている。

 

あなたが、死んでしまうくらいの勇気を振り絞って社会と繋がろうとしたことを知っている。

そしてそれによって死んでしまうくらい、いや、死んだほうがましなくらいになってしまったことも想像できる。

 

私は個人ブログとしてからしかあなたにアプローチできない。でも別に私は何を求めているわけではない。共通言語として、たまたま日本に生まれたから伝えるのだと思う。

 

私たちのその先を、私たちが見いだすことが希望なのだと思います。

私は希望です。

あなたも希望です。希望のカタマリです。

私たちの先に行く人々がそうであったように。

 

2019/07/02 求める経験が

ここに記しておかないといけないことができた。

私の体の話だ。

多分一生残る傷がたくさんある。

それは私が生き抜いてきた証拠で、自分にとって恥ずかしいことではなく、むしろ誇りだと思っている。

でも世間はそうじゃない。

でもそれは仕方ない。

でも近い人たち全てに受け入れられるわけでもない。

それは当たり前だよね、自傷経験がある人は、怖いし、何を考えているのかわからないし、びっくりするし、気持ちが悪いし、自分の世界に入れたくないよね。

 

違うのに。

気が狂わないために、別の痛みが必要だった。罰が欲しかった。私が生きることの罪深さを相殺してくれるようなものが必要だった。

 

必死に這い上がってきて、いろんな世界を見てきた。

這い上がった先の人に拒絶されるのは仕方のないことだとも思う。

この先、自分の過去の痛みの可視化のような傷跡は、私について回るだろう。

 

もうそこにはいないのに。

 

過去を隠すつもりはないけれど(カミングアウト的に捉えたくないから)、人と出会うたび出会うたび、私の世界にあなたはいるけれど、あなたの世界に私はいないのかも、と思う。

 

一生、こんな経験をし続けると思うと、昨日は涙が止まらなかった。

でも今日は違う。

今までもそうだった。

何度挫けてもまた立ち上がろう。

私の命のある限り。

 

 

私へ。

youtu.be

 

終わりに

私はいつだって孤独だった。

孤独のままにいすぎてしまって、寂しい、人恋しい、羨ましいという感情が麻痺してしまった。

それらの感情を全て取り戻したい。

この話をすると、「いいなあ、無駄な感情がないなんて」と言われるけれど、無駄な感情というものは存在しない気がする。かつてはそうは思わなかったけれど。

孤独でいることの強みを捨てるための絶対的な糧がほしい。でもそんなものは存在しないし、自分がこれから孤独を捨てようと思ったとき、果たして身体や心が本心から私の意思に沿うものとも限らない。

孤独でいることは、人一倍弱いのだと思う。

パートナーを持つ人が私と関係を持とうとしたとき、断固として断ることができるのは限りなく真に近い孤独であることの証だ。欲に負ける弱さより、それを断ることの方がよっぽど弱いことだ。倫理を抜いて考えると。

 

機械的な人間だと思う。そんな自分は嫌だ。自分を変えたい。

今までも意識的に自分を変えてきた。そして変わることができた。

だから変わりたい。

 

自分の中の愛を取り戻したい。

愛を取り戻した先に別の弱さが待ち受けていることを知っている。

でも、今自分が持つ弱さより、愛の先の弱さを選びたい。

また人を愛したい。

そのためにはとにかく自分を大切に、素のままでい続けることをひたすら繰り返すしかない。それには他者はあまり必要としないし、今できる最大限のことだと思う。

 

また何か発見したらここに留記したいと思うけれど、当面はやめておく。

 

自分を大切にしようとすると、人のことを過剰に傷つけてしまうから。

もうすでに。