ぽろぽろ

いろいろありまして

ながい戦いが終わりを告げそう

人生は一筋縄ではいきませぬな

安心してホワ〜っと眠気が来ました

 

母親が都内まで来てくれた

ああこの人はじぶんのこと死ぬまで好きなんだって思ったし

わたしも死ぬまでこの人のこと好きだなって思った

ア〜

 

冬休みまでまもなく

努力が足りないでヒーヒーしている

果てしなく遠いです

 

『おみおくりの作法』(2013)をみて

イギリスとイタリアの合作で、静かな静かな映画。

孤独死した人の葬儀を行う為に、亡くなった人の知り合いを探したり、葬儀に参列したりする仕事をするひとの話し。

一貫して青を基調に取り入れている映画で、静かに最後は少しだけ涙が出てしまった。

 

毎日、こころをこめて、でも控えめに生活を送るところの映像表現が印象に残った。

無言の所作が多く(でもそれでいてその表現から色んなことが読み取れる)、シナリオを書くのが苦手なわたしにとってはとても参考になった。

 

主人公が働いている役所の財政難で部署が合併されて解雇されてしまう。なぜなら葬儀にいたるまでの時間がかかりすぎだから。彼に変わって入った新しいひとは、ぞんざいな扱いで仕事をこなしてゆくのだけれど、それを責めるようには描かれない(多分そういうことはこの話しでは重要ではないから)。

誰も責めず、感情は出さず、ただ祈るような日々をみた。

最後は穏やかな悲しみと、少しの暖かさで包まれました。

 

ピーター・バラカン氏は

「誰にも気づかれない優しさは、いつか報われる時が来る。そのことを実感するラストシーンに感動しました。」(オフィシャル・ホームページより)

って。

 

ラストシーンをみるためだけの映画でもないと思ったけど、多分わたしにとってあのラストシーンがなくても同じくらいいい作品だなあって思うから、あってもとてもいいのだけれど。。。

 

こころにじんわりしみて、少し自分自身の優しい気持ちが成長する感じ。新しい感覚です。。

せめて自分は

せめて自分は、自分のことをきちんと認識し、受け入れなければ

 

人に優しくなれるように

穏やかにいられるように

ニコニコしていられるように

 

毎日そう思うけれど、ひょんなことですぐ忘れてしまう

だから毎日寝る前に、いいきかせようと、自分に。

優しく、優しく、優しく。

たのむぞ、自分。

目で救われること

わたしは空気を読まず、誰からも嫌われても構わず、

好きなことを好き放題していました

だって人のことばかり気にしていたら

自分の好きなようにできないもの

でも最近気がついた

誰のこともどうでもいいからそう思えていたんだなあ

今現在変わったところは、

この人には嫌われたくない!って周りの人たちに思っています

あーあ、わたしはこの人たちのことが好きなんだなあ、大切なんだなあ

なんて

 

フー

 

最近感情が高ぶりすぎている

 

また目で救われてしまった

嬉しいからなのだけれど

いったいどうしてわたしはこんなに泣いてしまうのだろう

 

間違ってないこと

今日、朝になってようやく眠れて、お昼に目覚めて

ああ、生きていると思いました

それから、なんやかんや思うところがあり、

少し暗くなっていました

自分の目指すのは、毎日を瑞々しく希望を抱きながら生きること

楽しむことがすべてであるように生きることなのですが

どうしてもそういう風にいつもいられるわけではありません

やるべきことがあるのに、そっちのけで

家族の哲学を読み直しました

読むたびに毎回涙があふれて止まらないのだけど

今日も、ああ、生きるということは、

自分であるということは、

こんなにも辛くて苦しいけれど

それとおなじくらいかそれ以上に、

そういうことを思えることが

嬉しいなあ

だってそういうことだもの

ここで息をしている

と思いました