あけましておめでとうございます

ここのところ、ずっと、実家に帰っています。

うちの家族は、誰かが出かけることに気がついたら

玄関で見えなくなるまで見送ります。

昨日、献血をしてからというものの痛む血管を

母親がテレビを見ながらずっとさすってくれました。

お互いがお互いを気遣うようになったのは

ごくごく最近で、しかも少しやりすぎじゃあないのかとも思うのですが

人はいくつになってもさらに良い方向に

いくらでも変わることができるんだなあ、

こういう健全な両親のもとに生まれついたからこそ

自分はここにいるのだなあと思います。

 

「今年は去年よりさらにいい年にしようね」と確認し合いました。

それを何年も繰り返す予定でいます。

 

「がんばるもんか」、辻仁成さんの言葉です。

 

がんばるもんか、いい言葉。

これ以上がんばるもんか、

がんばれなんて言うなよ、

がんばっているんだ、

...

がんばらずにはいられない、

がんばろう、

誰に強制するわけでもなく、

ただ自分のために。

 

去年からの心持ち、

過去の記憶、

大事にする全てのもの、

全部全部無くしてしまわないように、

両腕に抱きかかえながら、

また今年も生きるつもりであります。

 

では、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

終わりの終わり

この一年、格差についてとても考えてきました。

日本や、海外、時代、様々な観点から考えて、

悪い点もあれば、そうでない点もあることに気がつきました。

宗教改革ルネサンスの衰退に繋がりました。

豊かな芸術が生まれるには必ずと言っていいほど

莫大な資金が必要です。多分。

また、日本の研究論文は、誰もが読めるように

書く必要があるそうですが、

ヨーロッパでは、同じ研究者が読めればいいので

より高いレベルの論文を書くことができるそうです。

内田樹の「街場の文体論」を読んだ時に、大体こんな感じのことが書いてありました)

 

それで、わたしが大好きな芸術というものを改めて考えた時に、

格差が芸術を生んだのではないか、みたいな思考に陥りました。

 

 

最終的に今日結論が出たのですが、

やはり、自分の余裕がある限りにおいて

全ての人の将来の可能性を隔たない世の中を望み、

全て平等はありえないけれど、

なるべく平等な世の中になればいいなあ、

という考えだな、という感じです。

 

この結論に至るまでに半年ぐらいかかったの、信じられる?

ばかすぎじゃない?

 

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(少し今年の振り返り)

ギリギリ昨年に、大凶を引きまして、本当に大凶にふさわしい年だったのですが、

今年はおみくじの番が94で、また不穏な雰囲気で始まりました。笑

とことん、今までないがしろにしていた自分の感情と向き合った年でした。

憎しみ、怒り、恨み、悲しみ、そういった感情を、

よくないものだと蓋をして、見ないまま生きてきたのに気がつきました。

そして、全ての感情は美しいと、

感じることができることは喜びなのだと思い、

受け入れることができました。

多分、何もないことがない星の下にうまれてきたので、

「いつも、今年も怒涛だった...」と思うのですが、

今年もそう思いました。

騒音トラブルで、不眠症になった時、

ほんとうに辛すぎて頭がおかしくなりそうで(というか大学で発狂とかしてたからほんとうにそういう自分キモいし申し訳なくて恥ずかしい)

もう今の家に住んでいる限り改善されないと思うのですが、

来年のテーマは「忍耐」なので、もう少し頑張ろうと思います。。

あと自分の日記見てたら、辛くなればなるほどに、

ふわ〜っとした日記になっていて笑いました。

でも、大学にまた新しく入って、

とても素敵な友人と巡り会えて、

講義も面白くて、、、

登校する時や下校する時、

ああ、自分は正当な教育を受けている、と嬉しくなって

涙が出そうになりました。

これだけいいことがあるのなら、

色々嫌なこともあってもしょうがねえな、という年でした。

自分なりのベストを尽くしました、まじで

自分のレベルが低いことを毎日感じました。

もともと頭でっかちの大口叩きなので(でも悪いと思ってない)

そのレベルに合わせることができる自分になろうと思います。

 

もいちど。

来年のテーマは「忍耐」。

一番弱い部分が忍耐だからです。

我慢強い人になりたいです。

物事を長期的に見る力もつけたい。

あとはもっと性格をよくしたいです。

人にもっと寛容になれるように、

意識を変えていきたい。

頼むぞ、自分。

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今年、貧困に対してのボランティアも少し試みましたが、

色々思うところがあり、やめてしまいました。

でもそれでも子供が好きで、

あの時自分はとても困っていたと、

大人になってからそう思う子供を減らしたくて、

何か手伝わずにはいられなくて、

また新しい試みをしています。

今日よりもっといい日を。

 

最後に、今年自分が考えたことのなかで

いいなあ、と思ったこと。

 

今までのわたしの全ては、わたししか知り得ないのだ

 

ということ。

何も大したことはしてないんですがネ。

そう思った時に、救われた気がしたのです。

 

では、来年もどうぞよろしくお願いします。

 

クリスマスプレゼント(昨年の日記より)

美術・宗教・政治のとても易しい本を3つ買った。

クリスマスという魔法の言葉により

来月の生活費を使ってしまった。

 

本屋に立ち寄って、糸井重里氏の本パラってめくったら

「あえるとき、あえてほんとうによかったね」

って書いてあった。

 

毎日、ほぼ日を見るのが楽しみ。

消えそうになってしまった誰かの火に、

空気をおくってゴウゴウと燃えさせてくれるような、

誰かの庭の花がダメになってしまったら、

自分の庭の花の種をわけてくれるような、

そういう文章を書くよねえ。

 

あうはわかれのはじめ

わたしは命をつづけてゆく

 

ってお坊さんが質問に答えてくれるやつに書いてあった。

わたしは命をつづけるって言葉、いいねえ〜〜。

 

帰りに、スーパーの店頭のテレビに、

「今日は何の日?」ってディスプレイに表示されていたから、

いやいや普通にクリスマスでしょうって思って、

答え出るの待ってたら(だいぶ待った)

「プリンの日でーす!」

って書いてあった。

 

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何かすごくいい文章だったので、載せます。

全部人の言葉だけど。

 

そうだねえ

あなたにあえてよかった

それだけでとても嬉しいことだ

あうことはわかれることだ

そしてわたしは命を続けて行くのだ

 

 

 

バトーが好き

日本人的なのだろうかと思うのですが

ジャン=アントワーヌ・バトーが好きです

もののあはれ的思考なんだろうなあと思います

彼の絵の中の切ないものが好き

華やかなのに陰鬱で儚いところとか

どっちかわすれたけれど、

カラヴァッジョかレンブラント的な光の表現をしていて

その光に当たる人物は切ない感情でいることがしばしばあって

「シテール島への巡礼」も、(諸説あるけど一般的には)

出会い、これからの幸せに胸を高鳴らせているだろうカップルを描いているけれど

中央にいる女性だけは、それがほとんどの場合永続的なものでないことがわかっているんですね

わたしがずっと飾っているのは

「二人の従姉妹」なのですが

中央に位置する女性は背を向けていて

表情が見えず、しかしそばには恋人同士が幸せそうに戯れている

背景には銅像があって、それがビーナスなのかは定かではないのですが

考えていることはこちらが推測するしかない

けれども、きっとセンチメンタルに思い更けているような、そんな絵。

どの絵も構図が奇妙だし、彼は背を向ける絵をよく描いています

 

彼の死後、急激に彼が作り出したブームは終わり、

芸術家を目指す若者達には彼の絵は紙くずのように扱われます

 

そういうところもとても好きなんです

 

この間立ち読みした、

見るべき絵画1000選の中で2作品が入っていました

バトー展、日本でウケると思うなあ

今日こそはあたたかい気持ちを抱いて

今日も、沢山の悲しみを、居心地の悪い思いを、誰かの悪意を、感じた

でもそうじゃないことのほうが多くて

暖かさや、明日に対して希望で胸がたかまる

会話の中のひととの繋がり、鼻にツーンとくる寒さ、

いろんな色を感じて、

やっぱり今日もドキドキした

明日のほうがもっとすると思う

 

こどもを見て未来を感じるように

わたしの中にも未来を感じたい

 

今日、友達と電話した

とっても嬉しいことを言ってもらった

ああそうだ、わたしは、いろんな背負うべき自分がしてきたことがあるけれど、

こういう風に生きているようにも見えるのか

うん、”責めず、忘れず、繰り返さず”、だ。

これからも沢山のことが待ち受けている

一人の大人として、胸をはれるように

戒めと、喜びをだいて

おやすみ

こころのおきばをずっと探している

あ、ここじゃなかった あっちでもないしな

そういうのではなくてほんとうは

自分でつくるものなんだけど

 

しらないからだ、できないのは

 

 

わたしは雲みたいだなあ