見えにくいものとか

牡蠣にあたった。

でも、幸い一日で落ち着いた。

その日はちょうど母と会う予定だったので、看病してもらった。

おばあちゃんからと、梅ぼしを持ってきてくれた。

夜、ヘロヘロと薬局に行った。

父は極度の乾燥肌で、毎年冬になるとどうしても全身が痒くなってしまう。

たまに使っているわたしのボディークリームが良かったので、

母に教えておこうかと思ったけど、

父の使っているものを聞いたあとに

「金のかかる男だよ」と冗談まじりに言っており

値段を見たらわたしの圧倒的に高かったので

何にもなかったことにした。

母と父は仲良くなったと思う。

母の発する言葉から、父を尊敬しているのがわかる。

 

春から復学する予定だったけど、半期引き伸ばしになりそう。

八朔を腐らせないで食べられて喜ぶようでは

現実的には厳しい。

 

昔の何かのはなしをしよう

何かのはなしをしよう

わたしの記憶の楽しかった話しをしよう

 

そう考えるとき、それは誰かと一緒にいた出来事のことが大半かも。

楽しいや幸せというものは、誰かと共有したときにより大きくなるのかもしれない。

 

一人で楽しかった直近の出来事は、

昼下がりから夕方にかけて、ずっと外を眺めて

空の色の変化を美しいと感じたことかなあ。

ありきたり。

あと洗濯と掃除が楽しい。

 

当たり前なことやないがしろにされがちなものこそ尊いのかも。

 

 

わたし、少しずつ立ち直れている気がするけれど、

これは自分のおかげ要素一ミリも入ってない。

周りの人がちゃんとしてくれたからだ。

 

 

何もかも忘れたくなかったけど

記憶を全部胸に抱えて生きることはできないな

人は変わる

今年に入ってから、身内以外で会ったのは4人。

その4人も幼馴染や親友など親しい人。

それで、身内も、そうでない人も、

ますます素晴らしい人になっていた。

自分が置いてけぼりになっている感覚は、ジェットコースターで下降している時の感覚と似ている。

 

いったいどうして、自分なんかがこんなに人に恵まれているのだろうか・・・

 

家族で初詣に行った時、姉もわたしも大吉をひいた。

そしてわたしのおみくじは以前母がひいたものと同じだった。

 

この間会った友人は、同じ時期に体調を崩し、闘病を続けてきた人で、

わたしはほんとうのことを言うと、彼女はもうだめだと思っていた。

彼女のことを(勝手に)いつも思っていて、

そして沢山泣いた。

会うたびに目に見えて弱っていく姿にわたしが耐えられそうになかった。

でも、初めて少しずつ回復している兆しが見えていて、

なぜか生きることに希望が持てた。

もうだめじゃないっぽい。

そして彼女に「我々は健常者と比べちゃだめだよ」って言われて、

何か嬉しくなった。

誰もが生きている間常に健常者でいられる訳ないけど。

 

いつか、もう本当に死のうと思った時(何千回も思ってるけど・・・)

彼女と約束をしたことがあって、

それは「死ぬ時は一緒に死のう」

という、バカみたいなことだったけれど、

当時のわたしたちは真剣で、彼女とならちゃんと死ねる気がした。

そしてもうだめだと思った時、その時が来たと伝えた時、

なんと断られたのだった。

ハハ。

 

わたしのアシタカがかけられた呪いのような傷は

だんだんと薄くなっていて

それが消えることに対して抵抗感を感じる。

なぜならば、自分の苦しみを折角可視化できたのに、

それがなければまた昔にもどってしまう気がして、

怖いのだ。

 

 

 

わたしはもっと良くなれるだろうか。

自分を褒めるためのログ

なんか自己啓発本みたいなタイトルになってしまった。

というと、なんだか自己啓発本を批判しているような文章になってしまう。

 

今の自分はわからないけれど、昔の自分は好きな気がする。

だって一生懸命だったもの。

その一生懸命さは後からみればあまり正しい方向には使われなかったけど、間違えちゃったのだけど、自分はじぶんなりに精一杯頑張っていたと思う。

去年の後半はただ生きることが難しかった。

普通に社会生活を送ることができている人からしたら、バカにされるくらい何もできていないけれど、精神に異常をきたし怖がられても(もしかしたら自分自身が一番怖がっていたかもしれない)、それでも生きた。

去年の日記、本当に起き上がれない日とかは抜いてわりと書いていたけれど、暗すぎて笑う。自分が本当に崩れていくのが目に見えて、記録しておいてよかった。

 

2017/08/06

コーヒーを飲みました。小さなお皿のシリアルを食べるのに2時間(!)、これから化粧をして、スーパーと薬局に行って、洗濯して、夜は走るのが目標。あと、昼ごはんを食べること。

 

2017/08/07
 
昨日はあれから体の具合が酷く、本当に死ぬんじゃないかと思った。全身の筋肉が引きつったり、痙攣したり。今これを打つのも辛抱がいるのだが、昨日は本当に酷かった。多分何日もロクに食べていなかったこともあり、カロリーメイト電解水を辛うじて蓄えてひたすらマッサージをしていた。また薬を飲むことにした(病院に行けたから)。でも他に誰とも会いたくないなあ。
 
2017/08/09
 
行動認知療法のテキストをやった。今日はここまでとちゃんと書いてくれているからとても安心する。わたしは自分の自己破壊的行動と飲酒は切っても切れない関係だと理解していて、もしこの先にこのトラウマが治ったのであれば、思う存分飲酒できるのかと期待するけれど、多分そんなことないのだろうなあ。飲酒でストレスを発散していた分、走っているけれど、飲酒したいな〜。人様に迷惑しかかけないから、しちゃいけないんだけど。一人の場合はするよ。というかしていきたい。でも誰かとはもう飲めないな。悲しい。
 
昨日は掃除や買い物などをしたし、夜は少しだけ走った。月が綺麗だったので、無償にドビュッシーが聴きたくなって、ベストオブドビュッシーを流しながら。夜は湿気でモウモウと立ち込めていたけれど、走っていると、ドビュッシーの音楽がなぜか除湿作用があるのではないかと思うくらい、スッキリした。今日も引き続き洗濯や掃除と、あと本棚と収納を買った。まだカーテンやベットカバーなど、変えたいところが沢山あるけれど、根詰めてやらないことにした。根詰めてもいいのは自分の心の問題と向き合う時だけと決めている。今日は体の痛みも首くらいで、薬を飲んでいなかった時のあの全身の痛みとは全く違いすぎて、本当に驚いている。だって、あんなに布団から起き上がれなかったのに。不思議。これが薬の力なのですね。正直不足していると不満だったけれど、こんなに痛みを和らげてくれるのなら本当にありがとうございます。という感じです。
 
もう一人ではできないだろうな、と思っていた認知行動療法だが、今日やってみたら大丈夫だった。形を変えてやってみるのもいいかもしれない。向き合わなければ、きっとこころの叫びが心身症として現れるのですね。大丈夫です。少しずつまた回復している。
 
薬が効いていて、とてもいい気分です。穏やかになる。こころの不具合のことなんてないような感じにしてくれる。今後、もし特筆して不安だと書くのであれば、わたしは性的なイヤガラセを受けた時に、動じることがないようにできるだろうか、くらいです。ら、来年の春に戻れるかな。どうしよう。考えています。
 
2017/08/17
 
 
誰かと一緒にいると、楽しいけれど終わった後嫌な気分になる。なんでだ。
今日は料理しようかな。キャベツ使おう。
ご飯が美味しくない。
昨日はでも唐揚げを食べた。油すごかった。
憂鬱の波に飲まれそう。
 
2017/09/13
 
 
どういう風に過去を置き換えていくのか、ちゃんと考えないといけないと思う。
 
元気になったときに思ったことは、わたしは元気になんてなりたくなかったのだ、ずっと体調の悪いまま、苦しいまま、こころの暗いまま、過去の思い出だけと生きていきたかった、ということだった。
 
もう味わいたくないと思う。これから待ち受けている喜びや悲しみを。
本当にわかってしまったのだ。人は一人では生きていけないと。自分の中で、精神的には一人で生きていけるはずと思っていたけれど、そうではない、全然そうではない。
 
2017/09/18
 
苦しくなると、自分をコントロールできなくなります。
手首を切ったり、薬をたくさん飲んだりしてしまいます。
その時の記憶はおぼろげにしかなくて、意識が戻った時に、体が動かなくて、ああ、またやってしまった、と思います。
そしてまた長い眠りにつき、数日を空白の時間として消費します。
 
自分が不当に傷つけられると、その後自分のことを身体的に傷つけずにはいられなくなります。
これは苦しい状況を逃れるために、自我から少しでも乖離させるための心理的行動らしいのです。
 
数日間に及ぶ体調不良(あらゆる痛み止めの薬の飲み過ぎで内臓が痛かった…)がようやく収まり、一息ついてみて、生きていく上で、試されているな、と思う瞬間だったと思いました。自分のことを守り切った。誰もが当たり前にできる行動が、わたしにはできません。自分のことを傷つけたくて仕方がないのです。
 
とても時間がかかって、成功するかわからないけれど、少しずつ、自分のことを苦しめなくても生きていけるようになっている気がします。

2017/09/22
 
とても疲れている。心地の良い疲れ。わたしの今いる場所は、とてもいいところです。昔のわたしの絶望が、ないところです。きっとみんなこんなに感動していない。人は尊いなあ、と周りにいる人を見て感じます。
 
同じ病気の人が、「周りの人はわたしがよくなると、バイトすればだとか、活動的になることを求める。今は自分を落ち着けることで精一杯なのに!分かってくれない!」と嘆いていた。
本当は誰しも活動的になりたいもの。前の自分に可能であれば戻りたいとすら思う時もある。だって、体が動かない。鉛のように重く、その上とてつもない鬱のカーテンが突然わたしを覆う。この絶望感は、完璧に言語化することは難しい。酷い時、生きるという行為そのものが、ほとんど難しい状況って、きっとなった人でなければ理解できない。水を飲んで這ってトイレに行くだけの日々を重ね、掃除、洗濯、料理、化粧、風呂すらできなくなったことが信じられなくて、絶望する。食べ物が美味しくない、体が動かない、体じゅうが痛い、あたまが、あたまがちゃんとうごかない…!こんな自分が自分だってこと、信じたくない、受け入れられない。…それから、周りの助けもあって、少しずつよくなって行った時に、「バイトでもすれば?」って言われる。しがみついている酷い孤独が爪を食い込ませてきた。この孤独とともにいっそ死んでしまおうか。だって私には価値がない。大切な人に理解をしてもらえない。ずっと死にたいと思ってた。この状況で生きる理由なんてあるだろうか?今こそ死ぬチャンスだ。
…その人を元に、自分の経験を合わせると、こんな感じだと思う。
「わたしもそれで悲しくなることがあります。分かってもらうことは難しいですね。でも、わたしはわかります。」とお伝えしました。
 
終わりがわからない洗濯機の中に放り込まれた感覚。水は今までみたことがなくて、無色だったり、真っ黒だったり、真っ赤だったりする。
 
2017/09/22(ちゃんとその日に更新)
 
今日から西洋医学的な方でも本格的な治療が始まった。
かつて、自分がPTSDだとわからずに錯乱していたころ、別の病名をふんわりと付けられ、その薬を飲んでいた時、本当に体がきつかった。毒飲んでいるようなもんですね。
それから薬嫌いになって、お医者様からも再三言われたけれど、その場しのぎの薬だけしか飲まなくなった。睡眠剤も飲んでないもの。ゴリゴリの不眠症だった時は飲んでたけど。offの日は病院何件か行って終わり、ほぼ全ての病院で過労という診断をされたとき。もう色々ありすぎて、たまに自分よ、めげるな、と思う。
 耐性がついてしまっているけれど、今その薬を飲まなくなったら、多分また動けなくなると思う。
治る治らないなんて別として、治療方法があるのなら、わたしは大丈夫だと逃げ続け、周りの人に迷惑をかけ続けるくらいなら、ちゃんとやるしかないよね。
今飲んでる薬は、わたしの病気には実はむかないらしい(脳の話的な意味合いで)。
結局のところ、今まで培ってきた生き方や思考回路では脳の伝達物質がうまく循環しなくなり、継続的に生活を営むことができなくなる…らしいので、少しでも効果的なものを取り入れようとすることはやらねば…。
 
2017/09/19
 
早いところで、もう9月も半ばですね。
 
台風が過ぎ去った朝、外の空気が全く夏らしくなくて、夜の間の嵐の後の匂いがしました。
もうそろそろ秋かなあと思ったけれど、昼間は暑かったみたいですね。
 
洗濯物がよく乾いたので、二回。
 
先日、友人がわたしの腕を見て、「痛かったね。こんなになってしまう前に呼びなさい。何があってもちゃんと駆けつけるから」と言ってくれました。
曖昧に頷いたけれど、今後も自分がコントロールできていない渦中に誰かに助けを求めることはないだろうな、と思いました。何故ならば、これはわたしのタスクで、他の誰かにしてもらうことはできないし、そんなことはしてはいけないからです。
そして何より、この腕が、この体が、わたしが、今を生ききっているということがほんのすこし嬉しいのです。こころの傷と違って、見えてしまうけれど、わたしはこの腕のことを何にも恥じていません。
 
でも、目に見える傷というのは、慣れていない人にとってはグロテスクなものです。
 自分を切るという行為をしたことがない人は、その心理行動を解説されたところで、ただの異常人物としか見えないかもしれませんが、それは当たり前ですね。
 
 
夏を乗り切りました。
ここだけの話、数ヶ月間、母のために生きていました。
「あなたが生きてというから生きてるだけ、早く死にたい、わたしにはもう何もない」など、泣きながら言った記憶がおぼろげにあります。
 
翌朝、目が醒め、メールをみると、「生きててくれてありがとう。生きてるだけでありがとう。」と母から来ていました。
 
その時に、自分の子にそんなことを言われた母の気持ちをようやく考えることが出来て、胸が痛くなりました。わたしが死んだら、多分生きていけないと言われた時、本当に酷いと思ったけれど、のちに何にも酷くなく、むしろわたしにとって救いの言葉でした。生きろって、正常時の死ねくらい酷い言葉に聞こえるのですが、でもその時には自分の命なのに自分のために生きるのがもうしんどかったので、母のため、という生きる意義をもらったから、幾分楽だったのかもしれません。自分のために生きなくていいということは、自分のために死ななくてもいいということなので…。母がただ生きろ、生きていればそれだけでいいという”命令”によって、かろうじて居たの、本当に物凄い緊急手段ですよね。母の負担、計り知れない。危険な橋渡ってきた、母よ…。多分その言葉によって自分が恨まれる可能性があるとかも分かった上で言ってきたなって分かるから、母よ…。
それでいて一人暮らしさせてもらえるのだから、本当にありがたい、母よ…。
 
いつも全ての辛さを更新する気がする。病気を治すための治療をしなければ、また騙し騙し生活することもできるのだけれど、これをしないと、また倒れてレベル高めの辛さくるの、ほんといや。
 
それから、すこし元気になり、自分の手をジッと見つめると、今まで見ないようにしてきたものが輪になって暖かく包み込んできて、うしなったものよりも、今手にしているものの方がよっぽど多いことに気がつきました。
 
わたくしめは、とてもダサい人間なので、「しゃーねーなー!ちょっくら生きてやるか!」と思いました。
誰でもない、わたしのために。
 
2017/09/21
 
体調が少しずつ悪くなってきた。原因はこの間のショックな出来事もあるだろうけれど、多分、単純に活動時間が増えたからだと思う。体が固まる感じがする、憂鬱、あー死にて、ふう、、、。ご飯が美味しくなりました。でも食べ過ぎて気持ちが悪い。ああ、ダメだなあ。体があんまり動かない。
 
2017/09/27
 
母がサプライズで来た。連絡は入っていたのだけれど、ここ数日はほぼ寝ていたので、連絡を見られていなかった。明日も来るね、と母。
別れ際、母はわたしの手をギュ、と握るのが習慣になってきている。不器用だなあと思う。きっと死ぬまで愛してるとも言われないし、抱きしめてももらえないんだろうなあ。でも別にいいのだ。愛されていることがわかっているから。
 
2017/09/28
 
隣がマジでうるさい。何をしているのかわからない感じが怖い。ゲルマン民族の大移動かよ。
今日は5時間くらい寝た。薬飲みたくない。あと一週間ほど副作用に耐えなければ。
 
望むことは平穏な毎日なのだけれど、色んな傷が痛むなあ。復学できる気がしない。
 
2017/10/01
 
友達とアートナイトに行った。とても楽しかった。
興奮しているからか、眠れんな。でも最近眠れない日が多いかも。
もうすぐ5時だー。
 
2017/10/05
 
大分精神が落ち着いてきた。
虚しさはある。
 
2017/10/05(昼)
 
自分の昔の記憶を背負って生きていける気がしない。
忘れるしかないのだろうか、でも結局無意識に追いやるだけで、問題は解決しないだろう。
にっちもさっちもいかない。
ただ、SSRIが効果を発揮していて、気分はそこまで落ち込まない。
BZDでかなり自分の頭がやられているのがわかる。
いつ元どおりになるかわからない
過去の傷と向き合うことは苦しい
 
2017/10/21
 
はあ〜〜〜おらもうやだいぎてだくねえ〜〜〜
どんどんエスカレートする感じの自傷にももう疲れただ〜〜
親の泣く声を電話越しに聞く〜〜
傷しみるのいやだから風呂にも入りたくねえ〜〜〜
キーってなったときの自分抑えられねえ〜〜〜
悪い夢ばかりみる〜〜〜
あ〜もうおらいやだ〜〜〜
 
 
2017/10/23
 
昼なのに、急激な発作が起きて立っていられなくなった。
初めて人に助けを求めたかも、
 
2017/10/28
 
復活。か?
ぼんやりしてたら今日が終わった。
何もしたくないのでしなかった。
でも洗濯3回と、買い物には行った。
隣が解体工事をやっているので、朝眼が覚めていい。ずっと解体工事をしていてほしい。
二日ぶりに食べ物を食べたからか(そしてその後寝た)もう、お腹がずっと鳴りっぱなし、下しっぱなし。
二日間は寝たきり(水分、風呂以外のことができなかった)だった。
こうなると、いつ現実なのか段々自信がなくなるよね。勿論現実は認識しているんだけれど、夢のことも本当のことかしらんと思ってしまう。
夢の中ではわたしは自由で健康で、でもだからといってそれを感じているわけでもなく、ただ淡々と過ごしている。
 
 
2017/11/08
 
なんかずっと足がこむら返りして超痛くて面白い。今日はずっと足をほぐしてた。1週間に1度、鍼灸院に通っているけれど、多分今週行ってないから全身いて〜。東洋医学の先生は「脳の血の巡りが良くない」と言うし、西洋医学の先生も「脳の伝達物質がうまくいってない」と言う。なんか最近体温調節もうまくいかなくて、めっちゃ寒いときと、体が燃えているぜー!っていうときがある。自分が恒温動物なのかなんか自信なくなってきたぜ。面白いな〜、人体って思う。そして、痛みって慣れるね〜。スポーツ選手で体痛くない人なんていないっていうの聞くとなきそうになる。いちいち感動する。いつもさすられてばかりだから、人が体痛かったら、さすりたい人生になった。
 
2017/11/09
 
体痛くて立ち上がれなかったけど、午前中には布団から出ることができたぜ〜ヤッホイ!
動けなくて薬も飲めなかったし、猛烈な尿意があったけど這っていく力も出なかったwww漏らさなくて本当によかった・・・
ようやく薬飲んだら、体の痛みがかなり落ち着いて、薬ってすごい・・・ってなった。
昔から夢はわりとほとんど悪夢しか見ないけれど、最近はパッタリ見なくなったと思ったら、今度はよりリアリティを増してパワーアップして帰ってきたwww飛び起きてゼエゼエするwww
過覚醒状態が酷すぎてやべ〜うける〜。
 
2017/11/11
 
昨日からお風呂に入れていなかったけれど、夜元気が出てきたので二時間弱運動した。
やっと走れるまでに回復して、嬉しいにゃ〜。
わたし、わたしのこころの通りに生きることが出来てるな〜。
自分のこころに誠実に生きるの、こんなに楽しいのか・・・。
出来事の認知の仕方をもう一度見直す、認知行動療法というのを独学でやっているのだけれど、それが効く・・・。
映画見てから寝ようと思ったけれど、眠くなってきたので、寝ようかな〜。
起き上がれなくて寝てばかりで、逆に体が痛くなってたけど、布団に入るのが嫌じゃなくなって嬉しい。
今日も色んなことを考えたな〜。
自分は愚かということ、忘れずに、明日も目が覚めますように。
 
2017/11/16
 
昨日、走っていたら、鼻ほじって歩いてる女性がいた。
自由だ。
 
2017/11/20
 
今日も生き延びた。
でも明日は分からない。
 
考えてほしい。
自分が人の人生を壊す行いをやめてほしい。
わたしは、もう二度と戻らない。
過半数の心が壊れてしまっては、もう戻る事は出来ない。
戻っても、自分が加害者になるだけ。
 
昨日、16時間は意識がなかった。
また”間違えて薬をのんで、血を出した”
今日も生きている。
生き延びた。
わたしにやれることはやらないと。
わたしが生きる理由はたいそれたことでは何もない。
だけど、やらないと。
 
2017/11/22
 
言葉では説明が仕切れないことが通じたりする。
 
自分の呪いを少しずつ解いていっている気がする。
全身の痛みが大分なくなった。
でも、これは毎週行っている鍼灸院のおかげと、他薬のおかげが大きいので、それを忘れないようにしよう。
 
捨てたくないものと、捨てるものを、少しずつ決めている。生きるために。
生きるために捨てなければいけない望みなんて無いと思っていた。
 
寂しさはいつからか消え去って、孤独を何とも思わない。
感情が欠落したのか、達観したのか、
進化したのか、退化したのか、わからない。
自分でも戸惑っている。
 
寂しさはないけれど、虚しさはある。
大抵の人が持っているものは、隣の芝生が青く見えるようなもので、わたしには必要なかったりする。
必要としてはいけないものだから。
 
2017/11/27
 
自殺は人が捌ききれない殺人
 
たまに自分が怖くて仕方なくなる
自分を失う時、何をしでかすかわからないから
 
2017/11/30
 
5:30 起床
鍋作る。美味しい。
 
起きれた事とご飯作って食べて後片付けが出来た事に感動する。
できなかったもんなあ・・・。
今日は病院に行って、あと消耗品を買う予定。一万を越す出費になるのでビクビクしながら買うと思う。なんせ働いてないのでね。
 
最近からだが全然痛くなくて、凄い。東洋も西洋医学も両方使っているけれど、やっぱり東洋が効いてきているのがわかるなあ。「命がけで生きている人を救うのは命がけだわ・・・」と言われた。
この間パニックになってしまって、夜に鍼灸院に電話して家まで来てもらった。
 
2017/12/02
 
2日前からまた新しい薬を飲んでいる。
わたしが今現在飲んでいるのは、副作用がかなり少ない薬なのですが、2週間くらいは体が慣れるのにかかった気がする。
めちゃくちゃに良い、SSRIの中でも最高な薬と言われているものでさえ、3日間くらいは白目で気絶したりしてた。薬が効くまでには大体2週間〜と言われていて、このしんどさって例えるなら何だろう・・・と思ったけど、インフルエンザだ。インフルエンザ。
ぶったおれたの2回目だけど、もう1度やれって言われたら多分無理だと思う。
ただ、ほぼ悪夢を見るのが嫌すぎて出してもらったので、ちゃんと飲もうと思う。
でももうぜってえ他に新しい薬飲まねえ。
 
2017/12/07
 
今日重要なことに気がついた。
以前”自分はいつか人を殺すだろう”という観念があり、恐怖から外を歩けないという事態に陥ったけれど、これ多分夢で見続けてきたものだ。ようやく現実世界に持ってこれた。無差別に、生死は知らないけれど、何十人もの人を長いナイフで刺す夢。そして捕まったにも関わらず、暴れ続ける夢。
じゃあ自分は何をすべきなんだろう?
 
2017/12/09
 
カップルを見ても、特に何も思わない。
別に恋人が欲しくないから。
でも、家族連れを見ると、猛烈に死にたくなる。子供がとても好きだから。ので、そういう時は、微笑む癖が最近ついてきた。
自分がやりたいことを諦めたのは、将来の自分と家族のためだったのに、自分がなるべく穏やかに過ごすために、色んな望むことを諦めなくてはいけなくなっちゃったな。休日は外に出たくなくなる。
 
でも、隣の芝生は思いの外青いからな〜。
 
知り合いに、「犯罪を犯す人とそうでない人の違いは何だと思う?」と聞かれて、「善悪のボーダーラインが明確にない人」って言ったら、多分だけど、正解は「弱い人」だと。
もうこれ以上弱さを人に押し付けるようなことをしたくないな。
 
自分のことは自分が一番知っているのだから、ちゃんと分析をして賢い方向に進まないとね。
 
2017/12/15
 
いつも何してるの?って言われるのですが、1時過ぎに寝て、9時前に起き、自分と家をできるだけ清潔にしてから、夕方まで予定がなかったら寝るか映画を見る、そんで20時から22時の間に歩いたり走ったりして、という生活をしています。
 
とにかく、体力が持たない。購入から2年経ったパソコン。常に充電しないと落ちる携帯。
やばくない?すっごい医療費かかってる。多分生活費と同じくらいかかってる。2倍お金かかるんです。そんで最短で大学卒業が2年後。親に申し訳ない。
「無理しないでもっと休んでもいいんだよ・・・?」って言われた時のわたしの顔。
大学、単位もわりと頑張らないと留年も待っている。来年から無理やり復学してやるので、『倒れないぞ!』という目標だけを掲げて、単位をもらうのちょっと難しい授業は聴講する。ただ課題だけ頑張る。
 
 

すこしだけ希望

2017/12/26

 

本当にしんどい。

あんまりにもしんどすぎて、母親に今まで言ったことがなかった「どうしてわたしはこうなったか」を打ち明けたくらいしんどい。数日前は、それを説得材料に、ずっともう生きたくないと言っていた。

気がついたのは、22年生きてきてしんどいのだから、今後どうやってもしんどいんだろうな、ということ。十代のころは、何かまだ自分に希望を見出していたけれど。

本当にしんどい。たまに自分をコントロールできなくなる時が、本当に怖い。そんなときばっかり。

やりたいこともない。わたしにはなにもない。

なにもしたくない。

 

2017/12/28

 

最近の悩みはもっぱらうつ病の症状に基づくもので、記憶がなくなったり、勝手に改ざんされていたり、時間の感覚が通常とは異なったり、自分の頭がおかしくなっていることに気が狂いそうになっていた。

 

昨日、大好きだった人に会った。会ったら、やっぱり大好きだと思った。彼もわたしのことが好きなんだとなんとなく思った。

昔、1度目のうつ病のとき、全然会ってなかったけれど、事実上付き合っているということになっていて、わたしはそれだけで少し勇気が出たことを思い出した。

彼は、いい家庭で育って、いい学校を出て、いい会社に勤めているけれど、10年間摂食障害だったし、うつ病も経験しているし、完璧じゃないとすまないのに、人間完璧じゃないからそれで相当苦しそうな人だった。

一緒にいて嫌なことも沢山あったけど、ひとたび会うと、そんなことなんて吹き飛んでしまうくらい楽しかったなあ。色んなことを思って離れてしまったけれど。

 

昨日、二人で一緒にいたときの話を沢山した。で、「ほんと楽しかったねよえ~!」ってニコニコした。

多分会えても半年後とかだろうと思って、二人で写真を撮った。アパートに帰ったら印刷するんだ。

 

忘れてたけど、わたしの人生はクソではなかったな。

楽しかったこと、心から笑ったり、泣いたり、怒ったり、沢山あったな。

宝物みたいな時間、沢山あったな。

わたしの人生がクソだったら、わたしに関わってくれた、過去少しでも時間を共有した人に失礼かもしれない。

 

言えなかったけれど、少しだけわたしのこころを明るくしてくれてありがとう。きっと、愛情を注いでくれたんだと思う。

今でも大好きな彼に、いつか一生を共にする人が現れて、いつまでも幸せにいてほしいと心から願っている。

まだそこにいるのかよ問題とめちゃめちゃな矛盾の文

”無い”言葉は「普通」だと思うんですけど、多用されていて、普通という言葉には最近何となく納得がいくようになったのですが、未だに言われるとモヤ〜っとする言葉があります。
 
「普通じゃないよね」「いかれてる」「頭おかしい」「クレイジー」
などの言葉は、「普通」と対義語だと思うのですが、これらの言葉をまあまあよく言われます。
で、モヤ〜っとしてから、「お前の尺度はその程度か?」と心の中で相手に話しかける癖があり、そのたんび我に返っては「私はどこ目線で言っているんだ?」となります。
ただ、本人に向かってや、紹介されるときに使われるときは、これらの言葉は悪い意味としてではなく、むしろ良い意味で使われる傾向にあり(独断と偏見の俺調べより)、尚更モヤ〜っとします。
 
多分、本当に根だけはめちゃめちゃ真面目だからだと思うんですけど!!!
わりと辛いことがたくさんあって、でも最近になってようやく辛いときこそふざけ倒したほうが、少しは楽に生きられるな〜っていう、良かれと思っている行いが多分変な方向に行ってるんだな!ていうか、みんな思春期に自分って…とか考えて、多分もうそんなこと考えなくなってそうな年になったのに、まだ自分って...とか考えてる自分がさー!少しは成長しろよ!もう何を言ってるのか自分でわっかんね!
 
言葉って不思議で、極論を言えば今までの経験から一つの単語に対しての概念が生まれるものですが、「普通」(や普通の対義語)という言葉は、結論自分以外の人にとってはすっげえどうでもいい言葉じゃないですか。昨日見た夢の話しくらいどうでもいい。わたしはそう思う。
 
ただ、たまに自分で、ああ、他人からはこう見られてるのか…と膝から崩れ落ちそうになるときはある。
結構仲の良い友達に「私ってどんな感じの人?」って聞いたら、「チョウチョ…飛んでる…キレイ…。って感じ」って言われたときには、「普通じゃないね」って思いました。