2018/04/01

昨日は友達と花見をした。今年もできました。

重要文化財の建物で演奏会があるということで誘ってくれた。

オーボエの音が美しく、心が安らいだ。

今日は疲れてずっと寝ていた。

 

目下4月の目標は、今後のスケジュールを出すこと...

きちんと薬を飲み続けているせいか、

ここ最近はきちんと落ち着いている。

 

各位

ブログを見てとは言ったのだけれど、

誰かに読ませられるような文章など書いていけてないので

間違って死んだら見て、に訂正します。

 

2018/03/28

今日は元気な日です。

というか2時〜7時で一回目が覚めて〜15時までずっと眠っていた。

明日元気だったら運動しよう。

 

少し文章を書こう。

わたしが住んでいるところは学生街なので、

飲食店は質より量で安価な価格のところがほとんどだ。

高校生の頃からアルバイトで貯めたお金で

しらみつぶしに飲食店を回っていたので、

身分不相応に舌が肥えており、

また、前のような生活をできる立場ではないため

外食するよりも家で食べることの方が多くなっていた。

ただ3軒お気に入りの場所ができた。

その1つに中華料理のお店がある。

駅から5分圏内とはいえ、見つけにくいし入りにくいお店。

ただひとたび入ると、もんのすごい美人の店員さんが

満面の笑みで迎えてくれるのだ。

40は軽く過ぎているが、薬師丸ひろ子に似ていて

少しでも笑うと目がキラキラして、もう本当に眩しい。

 

初めて来た時から今までその女性の輝きは衰えることなく、

いつも口をあんぐり開けてしまうような美しさで、

昭和の芸能人のスターのような

明らかに自分とは違う世界に住んでいそうな人がいる店に

わたしと友人はもうかれこれ半年以上通っている。

(休学中のアルバイトもしていない学生に対して友人は優しい)

勿論料理もとても美味しくて、そこの酢豚なんかは絶品。

どれを頼んでも本当に美味しい。

多幸感に包まれる空間で、

にも関わらず人が疎らなものだから居心地も大変良い。

彼女は中国のどこの生まれなのだろうかといつも話題になる。

というよりも、あんなメロメロにさせる接客は

一体どうやってできるのだろうかと考える。

特に媚びることもなく、やりすぎでもなく、

ただにっこりと微笑んで料理を運んでくれるだけで。。。

ハア〜、オヤジの気持ちが分かるよ。。。

2018/03/27

思考に問題があるので理由もなく気力がなくなる。

以前読んだ坂口恭平氏の『家族の哲学』で似たようなことが。

問題は自分なのに自分自身にくっついているから剥がしにくい。

理由もなく痛みが襲ってくるけれど

ここから誰も助けてはくれない。

誰かに助けてほしいとも思わなくて

それはその人に申し訳ないから。

みんなどうやって立ち直るのだろう。

立ち直れない人もいるなかで

わたしは立ち直れるのだろうか。

 

夢のなかで水で死ぬ夢は見ないけれど

ずっと溺れているような感覚。

 

2018/03/25

3月の記憶が本当にほとんどない。

ギッタギタになった腕を見て

なんとなく毎日ぼんやりしている。

良くなったり悪くなったりを繰り返して

ほとほと疲れ果てた。

 

悩まない訓練をしたほうがいい。

うすっぺらな自分に対してたまに発狂しそうになる。

誰かにできることが自分にはできない。

自分にできないことは誰かがやるんだろう。

無い物を見るよりか今有る物を見たほうがいい。

わかっちゃいるがげんなりする。

 

昔のせいにしようがしまいが

問題は自分の中にあるの分かっている。

今年一年で果たしてどこまで軌道修正できるだろうか。

自分の人生本当に駄目で終わる気がしてきた。

もがいてはいるのだけれどもがきが足りない。

このまま諦めてしまおうかとも思ったりする。

 

寿命がわかれば頑張れるんだけどな。

 

死のうとはもう思わないけれど

自殺についてぼんやり考えていた。

人間以外にも自殺する動物はいて

イルカは水族館とかに連れて行かれて

家族と離れ離れになった時

ストレスで自分から呼吸することをやめるらしく

そう考えると死ぬことすらできない自分は

尚更根性がねえな、と恥ずかしくなる。

死なないけど!

明日は友人と会うので、ちゃんとしなければと思う。

2018/03/23

一睡もできず。

でも別に病気的なものでできないわけじゃなくて、

誰だって眠れない日はあるのだから、という感じ。

 

ゴロゴロしてから西洋の病院へ行く。

先生は疲れているようだった。

東洋の病院にも行っていることを話すと

だいたいの先生は気を悪くする(本当に)イメージが凄かった。

そんでもってやっぱり「うさんくさくない?」とは言われた。

 

わたしからしたらエビデンス

どちらも一生自分で確認できないので

はじめは同じくらい”うさんくさかった”けれど

どちらも自分にとって必要だし、効果があったし、

医学的に全然違うかもしれないけれど

西洋の先生は東洋の先生のことを

バカにしがちだよなあ、という印象。

そういう風潮あるよね〜

どちらにもかかっている患者あるあるだと思う。

 

ボヤボヤしていたけれど

帰りは病院から家まで歩いた。

千川通りは桜の木が植えてあって

こんなにもう咲いていることに

今日初めて気がついた。

ああ、梅の花を見るのを逃した...と思いながら

家まではずっと桜を見ながら歩いた。

わたしにとっては花見は何故か特別なもので...

年末自分を思い返すように、

知っている限りの日本や世界の、

主に日本の歴史を思い出す。

特に特別な愛国心はないけれど。

それでも見えない誰かをおもったりする。

そしてもうひとつ、この時期は毎年沢山の人と

会う機会が多い。

年末年始は結局会えずじまいな人と

近況を聞きながら、話しながら、

じゃあまた来年ね、なんてさ。

 

毎年花見はどんちゃんどんちゃん、友達とする人間だった。

でも他の人に対しても迷惑だろうから

今年の花見はこれだな...と思いながら歩いた。

 

いつか、クルージング花見とかしたよな。

ミッドタウンの近くに住んでいたときは、

そばの公園にかなりの時間いて(あそこは穴場)

そこの桜もとても綺麗だったのを思い出す。

花見っていっても、

いつも寒いから震える。

 

来年は誰かと花見できるかな。

来年は良くなっているかな。

頼むぞ、わたし。

2018/03/22

昨日はあれから『ラブという薬』を読み終わった。

サラッと読める本だったけれど、何だろう、

僕のなつやすみというゲームで虫取りをしているような

ワクワク感があった。

次はどんな言葉が見つかるだろう?という。

傾聴は愛だと、いとうせいこうさんが言っていて、

自分は全然傾聴していなくて

自分の考えを押し付けてばかりだったと反省した。

後は、専門用語が少し出てくるけれど

わたしにでもわかるように注釈してくれていてスルスル脳に入ってきた。

入ってきたのを逃さず収めたい。

損をしたくない社会になってきてるって書いてあって、ドキっとした。

もうたくさん損、してこ〜と思った。

 

ついに睡眠剤が効果を発揮してくれた!

入眠まで30分くらい、睡眠が5時間いかないくらい(その後に2時間うだうだする)

朝というか昼の眠気も今の所なく。

悪夢もなし!

見るのと見ないのではやっぱり全然違う。

あとは薬は今の自分には全部必要だ。

夢を見ない眠れる薬、苦しい時に意識がぼんやりする薬(麻酔みたいなもの)、

落ち込んだ時にそこまでと歯止めをかける薬。

いろいろ調べて成分に詳しくなったが

要約するとこうだ。すごく疑わしい言葉が羅列してしまった。

目標は2年で薬を飲むのをやめること。

 

本が読めるようになったので

これから貪るように読んでいこうと思う。

段々自分の計画が立てられるようにもなった。

 

追記

豚肉とジャガイモと水菜、あと豆腐で煮込んだら

わりと美味しかった。

元気があったので大学で3時間本を読む。

『自分を傷つけずにはいられない』というタイトルで

自傷行為をなぜする人がいるのが、こちら側に沿って解説してくれるもの。

簡単な言葉にしてくれているのでわかりやすい。

自傷行為ついては自分で細かくまとめようと思っていたのだけれど

自傷行為の段階を自分が着々と踏んでいて

すごく興味深いなと思った本当に。

あと、している人とそうでない人の血液に差があって

エンケファリンというモルヒネの仲間が

脳内から多く分泌されていることが分かっていたり。

さらに、短期的なメリットが多いが、その場しのぎなので

長期的に見ると現実はさらに困難なものへなっていくと書いてあって

共感しかしなかった。

わたしの場合は離人症みたいなところが多くて

している時はよく覚えていないのだけれども。

まだ読み切っていないけれど、

「大切なのは自傷行為によって得られる時間

(というのを迂回して稼いだ時間と書いてある)

を使って生き延びるための対策を立てることが必要」と。

いま、してる〜。

 あと、眠っていたまなぶ脳がびっくりして

頭がクラクラしている。あはは。

校長先生の話

高校一年生の時の校長先生はとても変わっている人だった。

行事の時もサラッと発言してすぐ終わりにしてくれる人なので

好感度はある、くらいのことしか思っていなかったのだけれど

ある日クラスに来て、一時間スピーチをした。

全部の内容は覚えていなけれど、先生の過去の話だった。

昔ボランティアで貧困国に教育者として行ったこと

そこでとても良くしてもらったこと

それでもいつもお腹が空いていたこと

水を汲みに行くのに何十キロも行くこと

帰る頃には足首を掴んだら親指と中指がくっついたこと

自分たちには信じられないような経験を積んでいる人だった。

そこで何を言われたとか、押し付けられたとかはなかった

ただ淡々と先生は話していたように思う。

今からすれば、あんな貴重な人が身近にいたのだから

もっと話を聞きたかったな、きっと沢山面白い話を聞けただろう。

校則はどこよりもゆるく、みんな好きな格好を思い思いしていた。

わたしが受け取ったものは、自由に好きに生きろ、みたいなものだった。

 

それから一年後に来た校長先生は、この緩みきった学校を立て直そうとする人だった。

自由な校風が唯一の長所みたいな学校で、それが好きで入った学生が多かったので

私たちの世代は大ブーイングだった。

絶対に自分たちの意思は曲げないという性格の人が多かったので

やがて靴箱の前にいる先生たちはあまり注意しなくなった。

あはは、覚えているのが、

体育祭のテーマは「革命」だった。

わたしは多分当時は派手な格好だったので

いつも注意されて名簿にチェックをつけられていたが

(チコクギリギリで行くのでセーフになることもある)

呼び出しも罰則も特に無かった。

可哀想なのは一個下からで、髪の毛を染めることも

いけなくなっているようだった。

わたしたちの代は良くて、次からは駄目。

卒業までこの世代はもういいや、みたいな雰囲気を感じた。

 

当時のわたしはまぎれもなく今よりもバカだったけれど

校則がなぜ厳しくされるのか、

好きな格好をしては何故いけないのかが分からなかった。

それを教えてくれたら少しはわたしも聞いたかもしれない。

今の考えは、「派手になることや、自分を表現することは論じるところではなく、

どうして髪の毛を金髪にしたり、化粧を濃くしたり、

スカートを短くしたりすることに制限を持たせているかというと、

まだ社会や世界の常識を知らない子供は、

悪い場所に引きずり込もうとする大人に目をつけられやすい。

目立てば目立つほど、そういう人たちに見つかる。

今を楽しみたい気持ちは良く分かるけれど、

高校に在学している以上、わたしたちはあなたたちを守る必要がある。

グレーのセーターが駄目でクリーム色などはバカらしいけど。」

そう言ってくれれば分かったかもしれない。

わたしにとって明るい髪の毛や、一時間もかかる化粧、

派手な格好は、周りから自分を守るものだったから。

そして当時感じていた寂しさや痛みを隠すものだったから。

 

別に格段嫌な先生でもなかった。多分無視されていた世代だから。 

いつも話しは面白くなかった。

でも一言だけ覚えている。

「僕は今60歳で、君たちは16歳や18歳だ。もう僕には残された時間が少ないけど、

君たちは十分にある。羨ましい。」

わたしに残っている自分の時間は、どれくらいあるのだろう。

 

そして思う、前者の先生の方が好きだったけれども

比べることではなく、一校の長になるってすごいことだ。

今でさえ先生というものに対して

尊敬の念を抱いているけれど、少し遅かったように思う。