2019/03/28 いましめ

狂っとるな自分とふと思った。

この感覚はすごく大切な気がするな。

何故ならば、今までの私の人生のなかで悪影響を与えてきた人たちは全員狂っていたから。

そしてそういう人たちと長くいると、自分もそうなってしまう。

通らなくていい道を通りすぎてしまった。

病気は治ったとはいえ、自分のなかにある負のものが出てくるとき、無意識の自分が怖くなる。

私は影響力があることを知っているから、周りの人を私から守らなきゃと思う。

 

 

一度人生が終わったと思う人は、その先どうやって過ごしているのだろう。

私は私の人生は一回終わっている気がする。

いい意味でも悪い意味でもなく。

 

 

 

見栄っ張りで、浅はかで、箇条書きに自分のこと書いてみようと思ったけれどこれ以上は思いつかないや。

 

どこか別の国で違った環境で育っていたら、反対に自分のことを肯定する言葉ばかり出るのかもしれない。

けど、私は戒めの気持ちが人一倍必要な人間なのでやっぱりここでよかった。

 

 

人によって性格が違うのってよく考えたら面白いなあ。

私は本当に恥ずかしいやつで、、、

 

 

もし自分の考えが洗脳だとしたら、と仮定して認知行動を見直してみて、結果私が自分に下すストレスはかなり減ったのだけれど、こういう文章を書いている時点で根底は変わっていないのだと思った。

 

何事もバランスだよなあ。

 

 

変わったこと。

私をバカにしていいのはーつまり、私の人権を剥奪できるのはー私だけ。

私は周りの人を傷つけてはいけない。なるべく。

 

 

つまり、傷つけられた分、他で暴れて二次被害を出している自覚があるんだよなあ。

情けなくて涙も出ないな。

 

 

ということをふまえて、いつもご機嫌で人当たりの良いいてもいなくても変わらないけどいたらちょっと楽しくなるような人を目指そうと思う。

2019/03/05 82年生まれ、キム・ジヨンを読む

一日で読み切った。

仕事先の女性が面白いから読んでみてほしい、と言ってくれた。

そこでは良くて月に2.3日しか働いていないので、返すことを考えたら今日しかなかった。

どっと疲れた。でも、読んでよかったと思う。

いつか読もうと思っていた本って大体読まずに終わってしまうから、貸してくれた人に感謝。

自分の部屋で読むと感情的になりすぎる気がしていたので、外で読んだ。

最後は駅の改札口であとがきを読んだ。

この本は韓国のフェミニズム小説で、韓国の女性がどういう状況で生きてきたかが年代ごとにわかるようになっている。それもカルテとして書かれているから、文字そのものからは感情的な表現は少ない。ただこういう風にして女性は生きてきたということが淡々と語られている。

 

わたしは独身で生きていこうと緩やかに決めている。

自分のお世話もそんなに自信がないのに、人の命に責任を持てないからかなあ。

*だた、どうして今までの人が命をつなぎ続けた先に自分がいるのに、自分はそれをつなぐ気がないことに対しては不思議な気持ちではある。

貸してくれた女性は、「子どもを産みたくなくなった。」と言っていた。

子どもがほしい女性が読んだらきっとにっちもさっちもいかない現状と将来で憂鬱な気持ちになるだろう。

 

 

小説の終わりの言葉にサッと血の気が引いた。考え続けて自分の思考をアップデートしなければ。

わたしもきっとどこかで加害側になりうるということを、忘れてはいけない(小説の話とは少しずれるけれど)。

 

まだまだ考えが足りんなあと思う日々です。

2019/03/01 果てしのない絶望め

首相官邸前抗議に参加してきた。

なぜかというと、この国の行く先がとても不安だから。

おかしいことだらけで成り立っていて、今後もどんどんおかしい方向に進むだろう。

自分と同じ考えの人がどれくらいいるのか確かめたかった。

 

元山さんは「もっと人が来ていると思った。こんなんじゃ安倍さんは動いてくれない!」と言っていた。そして「辺野古の工事が中止になるならもう安倍さんでも致し方ないと思っている。」と。

「変えられるよ!」と叫んだ女性がいた。

 

なんども「辺野古を埋めるな」と叫んでいたら、悔しくって悔しくって泣いてしまった。

 

一体どれだけ民意を殺せば済むのだろうか。

民主主義ってなんだっただろうか。

必死の叫びも受け入れられない。

もう日本は民主主義国家とはほど遠い国になってしまった。

 

行ってよかったと思う。

これからも行こうと思う。

変えられないかもしれないけれど、行動していない自分に後悔したくないから。

抗議の中でいじめという言葉が出てきていたけれど、行動しないということは加害側にもなり得ることだと思った。

 

次の日の今日、どっと重い気持ちが押し寄せて来てお昼を過ぎても布団の中にいた。

 

元山さんは、デニーさんは、こんな気持ちの何百倍を背負っているのだと思うとまた涙が出た。

自分にできる、微々たるが確かにあることをこれからもしっかりやっていこうと思う。

2019/02/20 傷つくということ

最近みた映画は『ナディアの誓い』『ライ麦畑で出会ったら』『500ページの夢の束』『バジュランギおじさんと、小さな迷子』。

 

昨日は性犯罪や性教育に関心のある大好きな女性とご飯に行った。

それで、そういう取り組みをしている人のグループに招待してもらった。

お話ししていて「あなただからできることがある、わたしには無理だけど。」と言われた。

わたしだからできることなのだろうか。わたしは褒められるような素行ではない。

何度か自分自身の名前で活動を試みようとしたけれど、外部からの攻撃を恐れて断念している。活動を続ける自信もない。

そういうなか、『ナディアの誓い』をみた。彼女の著書は『わたしで最後にするために』だ。

彼女は田舎で生まれ、農家として育ち、貧乏な時代もあったがずっと村で生きていたいと思い続けてきた人だけれど、ある日ISによって自分たちの民族が虐殺され、暴行の日々のなかで必死に脱出した。ISを公の場でさばけるようにしてほしいと訴え続けてきた。彼女の著書を少しずつ読んでいるが、村での暮らしのことが細かく書いてあり、華やかではないが美しい日々の幸せを宝のように感じた。雨が降ると部屋がびしょびしょになること。夏は暑いので屋根に登って眠ること。もっといい家に住みたくて家族でお金をためていたこと。

彼女の人生を考える。「やっぱりもうだめ」と言っては「やらなくては」と奮起していて、わたしはどうするのだろうと考えた。

 

 

 

わたしだからできることなのだろうか、と考える。

答えはできない、だ。

でも、

長く続いた地獄のような日々を抜け出して、ひとり。

この数年間人と極力関わらないようにしてきた。だって、楽だから。人といるのは疲れる。面倒になってしまった。

きっともう自分がこれ以上傷つくのを恐れているから、ある一部の感情がなくなってしまったように自分のなかに抑え込んでいるのだろう。

わたしは人一倍傷つくのが怖くなってしまったんだと思う。

 

 

わたしの、傷つきたくない、という意味は、例えばお互いに好きでいたのに急に相手が自分のことを好きでなくなったことによる悲しみのことではない。

 

大好きな人に不幸があったときが一番傷つくのだ。

だから人のことを好きになりたくない。好きになりたくないから人間関係を広げようとしない。

自分の課題と他人の課題は分けて考える必要がある。自分にできることを考えないといけない。それがとても難しくて、自分の課題にしてしまう傾向がある。

 

楽なことをするのは悪いことではない。

諦めたら、楽になった。

考えないから苦しくもならないし、行動しないから誰にもあわない。

でもいろんなことを諦めて諦めて諦めた先には何もなかった。

そうした日々を重ねるうちに、ぼんやりとわたしの人生はもう終わったのだと思うようになっていた。何もない最低限の日々。虚しくはあるけれど、それ以外は何もない。

死にたいではなく、はやく人生が終わりますように。

誘われたら友達とご飯に行く。だんだんその頻度が高くなってきた。でも安心できる、だって長い付き合いだから。

そしたら、みんな前に進んでた。同い年の友人なんて、舞台の演出家になってた。昨日の彼女は自分にできることを模索している。みんな何かに意義を見出して、行動してる。

 

そうか。諦めちゃだめなこともあったのか。

思い出さないと。自分の人生を自分で忘れないようにしないと。

風が吹いている。見えないけれど感じなければ。

木々が揺れている。葉っぱの色の違いを見なければ。

アリが地面を這っていて、わたしに登ってくるときの喜びを思い出そう。

 

今まで諦めてきたことを、少しずつ望んでみようと思う。

いつか勇敢でありたいと言ったわたしに、またなるために。

2019/01/21 空が美しいと思えればいい

カーテンを開けるのが苦痛だった。

たおれてしまって、ただ走ることだけしかできなかったとき。

布団に寝ていて朝が来て夕暮れになりまっくらになる。

なにも考えられず、カーテン越しの空をぼんやりと見ていた。

ああ、どうしてこんなにも身体が痛いのだろうか

ただ痛いだけのときには朝日すらも目が眩んでへたり込んでしまう。

夜が来ればわたしのこの先のようにまっくらだと思った。

 

たまに立ちあがり、わたし以外の人はこの空の下をきちんと歩いているのだ、と思うと、二進も三進もいかなくなり、また途方に暮れて呆然と窓の外をみる。

 

そんな日々を繰り返すうち、空は朝は白んだ黄色から始まって黄緑ーーー真っ青になり、やがてピンク色になり、真っ赤になったと思ったらあっという間に暗い色になる、と色を見るようになった。

 

もう、それだけでいっか。

綺麗だなあと思えたから、それだけでいいか。

 

そしたら、なぜか自分が背負わなくてもいいものまで背負っていたことがあるのに気がついて、カーテンを開けることに対して勇気がいらなくなった。

 

 

 

両親と同じくらいの歳の韓国語の翻訳の仕事をしている女性とSNSで知り合った。

といっても、随分前で頻繁にやりとりをするわけでもなく、ただ考えが似ているので相手のつぶやきに対していいねするくらいの関係。

去年の10月に、「ようやく抗うつ剤飲まなくて済むようになりました。まさかこの日が来るとは!」と呟いたら、その女性から返信があった。

「わたしもとても長い間、もう生きていることが奇跡なくらいの酷いうつ病でした。」とのことだった。

わたしとは全く違う要素で病気になったらしいのだけれど、彼女のいつもの言動からは信じられなかった。

だって、すごいアクティブなのだ。主婦でこどもも大きくなってから韓国語を勉強して翻訳のお仕事をしているし、まさに好きなことをお仕事にしているような人が、以前はそうだったという。

 

また、できるかなあ、わたしにも。

いまは映画も見たくないし、本も読めなくなってきて、ただ少しずつ生活の立て直しをし始めているのだけれど、脳みそがね、長いことスリープモードでしゃっきりとしない。

記憶を辿って感動するくらい。

 

 

何様かと思われるかもしれないけれど、わたしの言動の裏にはこびりついた自己否定がある。

それを隠すために逆のことを言って見たり、自分をいろんな手段で不必要にいじめて見たりしてきたけれど、最近自分を否定することは周りの人に対する冒涜、とまではいかないけれど、周りにいてくれる人すらも否定することになると思うようになった。

 

周りに比べれば頑張りは絶対的に足りていないけれど。

でも。思い出せばあのとき一緒にいた人たちはなんて素敵な人たちだっただろう。

志があり、その志はけして不純なものではなかった。

そんな尊い人たちまで否定することはしてはならないのだ。