乗り越えない

出会うひと出会うひと、素敵な人たちばかりが多くて、

こういう人たちに共通することって何なのだろう、

自分が好きなひとたちは、過去に壮絶な痛みを経験し、

それを乗り越えている人なんだなって考えていたのですが

いや、乗り越えてないなって思いました。

乗り越えることができるものではないのだ、と。

思い出す頻度が少なくなったとしても、

あらゆる分岐点で思い返し、

その記憶は変容していき、

きっと一生抱えていくのだ、と。

自分の確たるものとして受け止めているのではなく、

それに対する自分の気持ちは流動的なものなのでしょう。

 

しかし、懸命に、何度めげても、

自分が生きることに対して、

諦めても、また復活し続ける。

乗り越えることって重要じゃないですね。

 

一人で飲みに行って、

その日限り、誰か知らない人と話すことが好きです。

何か不思議な力が働く気がします。

求めているものがフッと来たりするからです。

もう一生会わない相手かもしれないとなると

あらゆることを話せるからかもしれません。

 

誰もが、誇りに思う部分もあり、

抱えているものがあり、

それでもその記憶は大切にとっておけるような、

そういう人になるためには、

ああ、今日も生ききったと、

自分に労いの言葉をかけてあげられるくらい、、、

 

私たちの誰もが壊れている。ある点においては誰しもが、とりわけ青年期には、修復できないほどに壊れていると感じていて、みな癒しを必要としている。『キャッチャー』はその癒しを与えてくれるのだ、ただし、かすかに、である。どのようにしてあたえられたかさえに気づかないーー結末に至って、十分に気持ちは高まるのだが、癒しが与えられたとは気づきもしない。ただ、言葉では言い表せないどこか深いレベルで、自分が治癒されたことが感じられるのだ。

 

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ああ、そうです、

それだったらまだ自分は十分安心が出来て、

このどうしようもない自分と

共に歩めるだけの愛着を持ちながら、

生きていくことができます。