2019/08/25 でもでも合戦

今の先生は専ら私の持つ性質について分析し、社会的に普通に生きられるようにさんざアドバイスする。

今の現状を変えていくのに過去の原因はなるべく触れられないようにされている。

それが心地良くもあり、しかし先生の言う「根本的解決」をするためには果たしてそれでいいのかと思う。

あそこまで虐げられてきて、それを疑問に思わず受け入れていたのは、自己肯定することができない私がいるからで、客観的に考えようとすると、自己肯定できないのは見えない抑圧や差別を無意識的に当たり前に受け取っていたからだ。などということを考えないといけないのでは、ひいてはそれが「根本的解決」に至る唯一の道なのではないだろうか。

 

先生が私に何度も言う言葉をそっくりそのままここに書く。

「君はね、まず若い女性で、大学生で、可愛いでしょ。僕には君の明るい未来しか見えないよ。過去の記憶に蓋をした方がいいと思うけどなあ。」

 

どうして、若い女性で、大学生で、可愛かったら明るい未来しか見えないのだろうか。こういう風に精神が安定していなくても養ってくれる男性がいるということだろうか。

というか可愛いという言葉の破壊力すごいな。私は自分のことを可愛いかはわからないが、自分のことをブサイクだとも可愛いとも美人だとも思いたくないし、そうした判断基準が自己にあるにせよ、自分にも他の人にもそうしたものさしで測りたくないので容姿って一番なくなればいいのにと思う。

話を戻すと、じゃあ中年の男性で、職がなく、ブサイクとみなされた人は?

 

 

きっと何もかもなかったことにするのが一番簡単で、何か守らなくてはいけないものや年齢に応じて、そうせざるを得ないしきっとそれで良いのだと思う日が来るのかもしれない。

自分のことを守ることを第一優先に考えるべきとは思うけれど、そうではない人たちがいたから昔よりかいくばくか生きやすくなっている今に生きていて、それを当たり前に享受することが理想なのかもしれないけれど、問題はまだまだ山積みなのを知っていて目をそらすことに何の意味があるのだろう?

 

 

ただでさえ自分すら危ういのに、自分と同じような経験をしてから、自ら死ににゆくことも、その後自分では背負いきれないような過去に潰されそうになりながら生きながらえることも、誰にもして欲しくない。

そう思うのだったらなかったことにはできない。

でも少ししかできない。できないことがほとんど。

だから過去の記憶に蓋をしたくないし、できない。