2018/05/22 料理

ここ1ヶ月ほぼ自炊してきた。記録してあるものだけ書き出しておく。

 

8日  カレー、トマトとチーズのサラダ、トマトとキュウリのサラダ

9日  イングリッシュマフィン、タラコ、パスタスープ

10日  オクラとミョウガと鰹節のサラダ、春雨スープ、タラコパスタ、シチュー

11日  イングリッシュマフィン、カブトとりもも肉の煮込み

12日  イングリッシュマフィン、ポテトサラダ、カブの菜ととり肉と玉ねぎ炒め

13日  茎わかめとツナとジャガイモの煮込み、そうめん、ポテトサラダ、たこ焼き

14日  カブトツナと玉ねぎ煮込み

〜15日 熱海旅行

16日  プチトマト、ぶりの醤油漬け、キュウリ

17日  キャベツと新たまねぎととに肉中華風、プチトマトとキュウリのサラダ、ぶりの醤油漬け、白米

18日  キャベツと新たまねぎととに肉中華風、アスパラとセロリの肉巻き、ブイヤベーススープ(レトルト)、豆腐食べる辣油のせ、ジャガイモと切り昆布としらたきの煮込み

19日  セロリとにんじんのサラダ、デミグラススープ(レトルト)、豆腐食べる辣油のせ、夕飯は叔母とご飯

20日  目玉焼きパン、マグロのカマと大根とミョウガの煮つけ、トマトサラダ、豆腐食べる辣油のせ

 

美味なり。

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2018/05/21 わたし

いつも自分について考えてきた。

 

日曜日。

お父さんが子供を抱いて歩いている。

自転車に子供を乗せて走っている。

転びそうになった子どもを、危ない!とお母さんが抱き寄せる。

少し大きくなった男の子がお父さんの手伝いで庭の木を切っている。手伝っているのを羨ましそうにもう一人の幼い男の子が興味津々で見ている。

道を歩けば手を繋いで家族連れがいる。

怒っているところも、笑っているところも、転んで泣いているところも、日曜日になると外を出れば必ず目にはいる。

 

そんなところを見ると、ああ、わたしにはきっと家族を持つことは難しいだろうと心が痛む。

 

誰かができないことをわたしができるように、わたしにできないことは誰かがしてくれる。直接的に子どもと生きることはできないかもしれないけれど、間接的に福祉や教育的な部分で補助することはできる。

無理して変わる必要はない。もし無理くり家族を持ったとして、そこで生まれた子どもはそんなことを知ったらどう思うだろう。だからわたしはできることを探し続ける。

わたしはわたしのままでいい。

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2018/05/20 セクハラは罪にきまっとろうが

mainichi.jp

 

気分が悪くなるのでこれだけ貼っておく。

セクハラという罪はないというのは法で裁くことが現在ではない、ということなのだろう。

は?それだけ?

一体どうして法は存在するのだろうか。セクハラ罪というものがないのであれば、作るべきでしょう。というかセクハラって軽い言葉のように扱われているけれど、犯罪です。

特定秘密保護法案が可決されて以来、わたしは強い絶望感を覚えた。日本の政府は終わっている。こういうことがあるたび、わたしは日本を出たくなる。これ以上日本に対する愛着心を奪わないでほしい。

 

その一方、おかしいことをおかしいという人たちがいる。

 

小川たまかさんという人の言葉。

note.mu

 

以下、関連するものを。

弁護士の大田啓子さんから。

”電車で痴漢に遭ったり目撃した時鉄道会社に通報できるアプリてあるのかな?作れないかな。で通報あったら「今2号車から痴漢被害の報告がありました。周囲に不審な動きがあったら次の駅で駅員にご連絡下さい」とアナウンスが入るみたいな仕組みできないかな。犯人捕まえられなくても加害は止まると思う”

 

弁護士の須田布美子さんから。

性教育をすると性行為を助長するという意見を目にして、どんな性教育を想定しているのか疑問に思いました。フランスで性教育を担当している人は、一番大切なことは「望まないセックスは断っていい」を教えることだと。

実際、性虐待に会う子どもや望まない妊娠をする子は、断り方を知らなくてツライ。”

 

わたしが心配しているのは、きっと思春期の子たちはこういう人の発言に触れる機会がないのだろう、ということ。

何か被害に遭ってからの対処では、莫大な費用がかかることは勿論のこと、日常生活をきちんと送ることができなくなるし、立ち直れない場合もある。

こういう尊い言葉をどうにか届けられないものか。

2018/05/18 近現代史について

先日見た『ラジオ・コバニ』と『ラッカは静かに虐殺されている』のことを考えていたら、近現代史を知らなさすぎることに気がついたので、中東問題などの歴史を学んだ。

イスラエル、アラブ、ユダヤ、その他諸々のことばは本当に分かりにくかった。特にイスラエルという言葉はいろいろなところで使われているので難しい、当時の先進国の非人道的な外交によってねじれにねじれてしまった過程を追っていくと、どうしても中東に住む誰もが自分たちは正しいことをしていると思うに違いなかった。わたしだったらどの立場であっても、と考えた。

昔母が午前十時の映画祭で『アラビアのロレンス』を見に連れて行ってくれた。そのときに「ロレンスはイギリス人だし中東問題に携わるためにアラブに行ったけれど、”アラビアの”ロレンスなんだよね。」と言ったことを思い出した。

あと知らなかったこと。中世のヨーロッパでは金融業は汚ない仕事だとされていて、迫害されていたユダヤ人にその仕事が押し付けられていたということ。そしてそのために豊かな暮らしができるようになったら、金もち=ユダヤ人としての印象が生まれたそう。

 

幸いにして、わたしは国籍や人種で人を差別することがないように教育をされてきた。不毛だと思いつつも、「中国人が」「韓国人が」「外国人が」(以下に続くことばはえてして良いものではない)という言葉をたまに聞くと怒りを覚えるし食ってかかってしまう。

でも、時代はもちろんのこと、教育や宗教、自分たちの親の世代が受けたものを背負って生きていくために差別せざるを得ない、というかそれが当たり前のことな人も沢山いるのだ。多分わたしの方が少数派だ。

なんて思ったりした。

2018/05/17 新記録

8日間続けて気分が安定している。これは昨年の6月から数えて新記録!

5月はまだ動けなくなった日がないので、この調子で来月まで行きたい。

昨日は映画を3本見たあと、スーパーで1週間分の食材を買い(継続的に料理が出来るようになったので調味料を全部補充したらそれだけで1000円を超えて冷や汗が出た)、家で仕込みをして、ごはんを作った。

毎日自分で作れている。

野菜、肉、魚と乳製品を中心に食べ、パンや麺類、白米はほとんど摂っていない。

コーヒーと糖分を含む飲料水を飲まなくなった。この間好きだったオランジーナを飲んでみたら甘すぎて最後まで飲めなかった。味覚が変った。

作ったお茶を腐らせることもなくなったので、紙パックやプラスチックのお茶を買うのもしなくて良くなった。

久し振りに体重を測ったら3.4キロ痩せていた。ガツガツ食べていた頃に肥えた分が減っていた。

9月を目標にゆっくり4キロほどおとす予定。

 

生活が楽しい。

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2018/05/16 ドキュメンタリー映画3本立て ネタバレっぽい

『ラジオ・コバニ』『ラッカは静かに虐殺されている』『人生フルーツ』を見た。

 

『ラジオ・コバニ』

トルコとの国境近くのコバニという場所。ISに占領され、廃墟で暮らしている人の話。フォーカスされている女性は大学に進学が決まっていたのに戦争で行けなくなり、友達たちとラジオをはじめてコバニの様子を流す。

どこへ行っても辺り一面の廃墟で、コバニが少しずつ再生しようとしているところから始まる。はじめにしなくてはいけないところが死体の処理だった。ショベルカーに遺体がでろんと落とされる。うまく乗りきらずに足が揺れ続けている。かつてこの”人”が考え、動いたことが信じられなかった。二度と忘れることができない。こどもが横で見ている。撃たれた人の直後の表情も忘れられない。そして相手を殺したとき喜ぶコバニの人の表情も。

女性はひたすら取材を続け、その様子をラジオで流し続ける。コバニの人たちはそれを聞いている。男性は皆兵士になっていたし若い女性も兵士として...手榴弾や爆撃をしていて...

ISの兵士が捕らえられたときに彼は泣きながら家族に会いたいと言った。自分は正しいことをしていると思っているけれど、こどもや女性を殺すことが正しいのかと聞かれたら口を開かなかった。

殺したときには大人かこどもかの区別がつかず、武器を奪うときにようやくわかる。コバニの兵士は夢に殺したこどもが出てくると言っていた。その絶望感はどうやったってはかり知れない。

やがて全域を奪還し、避難していた人々が帰ってきて、兵士にならざるを得なかった人は元の職業につきなおし、新しく建物が建ち始める。その報告をするラジオは救いのようだった。

「わたしの感情は死にました」と言いながらも人のためにラジオを続けているのは同い年の女性だった。

 

 

ラッカは静かに虐殺されている

ISが首都としたラッカに住んでいた人が、「ラッカは静かに虐殺されている」というチームを立ち上げ活動をしていることを追ったドキュメンタリー。SNSで世界に情報を発信し続けている。中心のグループはヨーロッパのセーフハウスを転々としている。仲間が帰ってくるだけでも部屋じゅうに緊張が走る。常に命を狙われ、メッセージでセーフハウスの玄関の写真をあげられ、精神が削られていく。父親か兄弟を殺され、その様子を動画であげられる。ISのプロパガンダの映像がかなり流れており、画質や編集は映画並みに仕上がっていた。吐き気がした。とにかく何もかもが気持ち悪かった。

仲間が暗殺され、バラバラでまた違う国へ...

ドイツにいたとき、移民を憎む人たちが起こしたデモの様子も流れていた。わざわざ移民は死ねとプリントされている携帯を向け写真を撮りまくる女性がいた。

フランス警察に保護をさせてくれと言われても断る活動家。安全な場所を求めているのでは?と聞かれると、ラッカで情報を送ってくれているひとたちがいるのに自分だけ保護されるのはおかしいと言った。彼は衰弱しきっていて、何日も眠れていないようだった。全身が震えてうまく動くことができず、それでも活動をやめていない。

 

なるべく情報だけ抜き出して書いたつもり。

 

おかしいことをおかしいと言って命がけで戦っているひとがいることを忘れてはいけない。矛盾するけれど、正しさってなんだろう。少なくとも幼いこどもに親が与えられない高価なものを与えて洗脳させ自爆させるのに正しさなんてない。言葉が話せるようになったばかりのこどもが笑顔でぬいぐるみの首を切っている。そんなの絶対におかしい。

 

今は直接何もできないかもしれないけれど、知ることはできる。わたしは知り続けたい。

 

 

 

 

 

 

『人生フルーツ』は国内のドキュメンタリー映画のなかでベスト1になった。DVD絶対に買わなければと思ったけれど、販売していないみたい。

...ほんとうに良かった。

2018/05/15 旅行にて①

5月14日から1泊、知人が熱海に連れて行ってくれた。

東京駅で待ち合わせをしたら、新幹線の切符を買っていてくれて、2日の間に一銭も出させてくれなかった。今の状況では旅行に行くお金はないことを察してくれていて、出す前に全部支払いを済ませていてくれた。

山の上の静かな宿で、体の傷をわかってくれているのでわざわざ部屋に露天風呂が付いているところにしてくれていた。

 

文字に起こすとどうしても軽くなってしまうけれど、ものや体験だけではなく思いやりや優しさとともに贈ってくれているのがわかったので帰ってからじんわりと暖かい涙が出た。

 

去年は錯乱することが多く、気の許す相手の何人かには暴走する自分を止められないまま乖離してしまうことがあった。錯乱の最中の自分自身が乖離しているとわかったのは最近で、誰かの記憶みたいにしか把握できなくて、自分で行動を制限できなくなっていたのだと思う。

わたしあなたの首絞めてしまった、頭突きをくらわせてしまったこともある、血が出ている写真を送ってしまった、苦しくて壁に頭を打ち付けていたのも見せてしまった、薬の飲み過ぎで動けなくなっているのを見せてしまった、何度泣いたかもわからない。それでもあなたは「普通でしょ」と真顔で言ってのけて、今の今まで態度を変えなかった...

 

何か自分の中が少しずつ正しい方向に変わっていくエネルギーのもとというものなのだろうか、誰かに何かを差し出すことは喜びの反面とても疲れるもので、もしかしたら自分が傷つくかもしれないことを考えると誰にもかれにもあげられるものではない。

でもたまに神様みたいにポンと惜しげも無く配れる人と遭う(またはそういう機会にばったり遭う)。

周りに残ってくれている人たちはそんなことを簡単にやってのける。簡単じゃないはずだけれどもそう見える。いつもすごいと思っている。

返しても返してもきっと一生かかっても返しきれないものをいろんな人からもらっている。

良くなっていく要素の大元だった。自分じゃない人たちが自分のために自分の体を良くしてくれている感じ。その人たちの優しさや犠牲によって少しずつ癒えていっているのを感じる。胸がジンジンする。熱々のフライパンにバターをのせたときのジュッとする感じ。幸せの溜息が出る。

一生ものの傷を負ったと思っていたけれど、そうじゃなかったかもしれない。