2021/07/31

間違って死んだ時のために書き記していた日記が

立ち直る過程を書いた日記になり

最近は自分のためにつらつらと文字を連ねる日記になった。

他の人が見たらみっともない文章だと思うけれど

自分で自分のオシリを叩く。

朝からこのやるせない気持ちはなんだろうともやもやしていたけれど

他の人の残した文章で分かった。

それは、力を持った人に、私の命は最悪無視していいだろう、という風に扱われた、そんな年だった、ということだ。

直接的な言葉ではないけれど、直接的な態度で、強烈に感じた。

踏みにじられたのではない。”私”は見られもしなかった。

そして同時に自分の加害性にも気がつき、ためいきがでた。

 

力を持つ大人たちの壮絶ないじめはもうきっと終わりがないのだろう

 

我慢を命じ誰かの命を無視し開催した平和の祭典は

なんとなく信じられてきたであろう良い日本像を完全に打ち砕いた

 

昔の言葉が頭に浮かぶ

自分の声を失うと自分の未来は自分の手から離れてしまう

だから怒っているのならば怒らなくてはいけない

それを面倒だからとやめてしまったら

ほんとうにほんの一握りの人のためだけに世界は存在することになってしまう

 

わたしのいのち

 

最近自分の性格の悪さを感じる

後輩と話していて自分の狡さを感じる

ああ...

それでも、私は私にしかなれないので

精一杯の善良な心と理性で

少しでも善い人間を目指す

 

最善を尽くそう