2021/07/23
課題をしていてハッと思い出した
過去のことを話していても仕方がない
だって過去は変えられないんだもの
私たちにできることは
これからのことだけだ
ガンダルフが言ってた、残された時間をどう使うかが重要だって
未来のために話しをしなければ
2021/07/16
朝起きたら不快感がなくなっていた。
憂鬱な感じもしない。
気分が良い。自然に笑うことができる。
やる気がある。身体がポカポカする。
多分、昨日また自分を自分で笑い者にしていたことに
気がついて、修正することができたから、楽になったのだと思う。
ホッとした。
しんどい時もあるけれど、少しずつ前に進もう。
昔は出口の見えないトンネルで何も見えない中歩くような、
あるいは回り続ける洗濯機に閉じ込められるような、
そんなところにいたけれど、
今は光が降り注ぐところで、明確に行きたいところが見えていて、歩いている。
どうしようもない自分と共に生きよう。
そして子どもの頃に傍にいて欲しかった大人になろう。
安心できるところをつくろう。
昔のわたしがして欲しかったことを今のわたしがするのだ。
情けない大人にはならない。
急にはできないから少しずつ。
できることをやる。
2021/07/15
ボルタンスキー氏が亡くなった。
インスタレーションの中で最も心にダイレクトにくるものがあったかただった。
そしてどの作品も好きだった。
彼が提示してくる死には嘘がないと思った。
ただそこにあったはずの命を時代を超えて感じた。
自分ではどうしようもないことに巻き込まれて死んでしまった沢山の人たちの顔を沢山見た。
ただそこに死がある
ひたすら簡素に、嘘偽りなく、事実が証拠として存在する
それが心地よかった。
*
この間の治療はいつもの半分くらいの時間で終わった。
危ない、と思ったらしい。
そういうことをちゃんと話してくれるから、安心する。
2週間に1回の頻度なのだけれど、治療の影響で1週間くらいは精神的に余裕がなくなっている。
気が立っている感じ。落ち着かず、身体が緊張しすぎて吐き気が酷い。
過去に引っ張られて酷い悪夢を見る。
またか、と思う。
先生と話している時には涙が出ない。
どこか人ごとに話して笑ってさえいる。
先生はショックを受けていて頭を抱えて「本当に大変だったね」と言う。
私が話すと先生は傷つくように見える。
そんな対話を通して自分の傷の深さを知る。
あ、今気づいたけれど、また自分を自分で傷つけていた。
どうして辛い過去を話しているのに笑っているんだろう。
笑える話ではないはずだ。
人ごとでもない。
自分がされたことだ。
絶対にされてはいけないことを私はされてきたのだ。
トラウマと向き合うとか言っておいて
自分の持つ傷から目を背けるために過去の自分を笑ってしまった。
きつい。
辛かったことを改めて辛かったと認めるのは辛い。
事実を認めるのは辛い。
それでも、辛かったことを辛かったと認めない未来は更なる辛さを呼んでくるだろう。
認知を曲げつづけた先にもあまり良い未来はないだろう。
ここ数年で立ち直りかたも、前を向き直すやりかたも身につけた。
うずくまって、座り直して、うつむいて、地面を見て、
自分の手のひらを見て、自分を触って、
前を向き直して、立ち上がって、歩く。
持てるだけ持って、片手は誰かのためにあけておく。
誰かが立ち上がれなくなったとき、隣にそっといる人になりたい。
その人がそうして欲しいとき、背中をさすれる人になりたい。
そのために頑張るのだ。
本当の意味で一人で歩けるようになるために頑張るのだ。
だから辛いことも向き合えるときに向き合う。
辛かった、悲しかった、寂しかった、助けてほしかった
苦しかった、死にたかった、消えたかった、もう何もかも嫌だった
恨んでいた、憎んでいた、惨めだった、地獄だった
でも、それは今ではない。
過ぎ去った過去で、でもだからといって笑って良いことでもない。
とうに腹は括ってあるのに、たまに緩んでしまうね。
さ、明日のためにおやすみ。
2021/07/10
ここ数年の不穏な空気の中でも、今年は一段と忘れられない年になりそうだ。
責任を擦りつけあっていたり、
分かっていた言わなければならないことを黙っていたり。
情けない大人を見るのは辛い。
今の大学に入って心から良かったと思うのは
大学にいる生徒以外の大人たちが「まず守るべき人は生徒だ」と思っていて
実際に行動や態度で表してくれるところだ。
そういう先生の姿勢に何度も救われてきたし、心の拠り所になっている。
この大学に入る前までわたしのことを大切にしてくれる
複数の大人の集団に出会ったことがなかった。
事務のかたはいつもにこやかに丁寧に対応をしてくれるし
保健室の先生は我が子のように大切にしてくれる。
ゼミで先生と話すのが週に1度の楽しみだし
思いがけず今年急に後輩が5人出来た。(週に1度オンラインでボドゲをするくらい仲が良くなった)
大切にされた経験があると誰かを大切にできるようになるし
人の道を踏み外さないようになるということを身をもって経験した。
オリンピック云々の報道を見ていると
「ああわたしはこの人たちからは大切にされていないのだ」と感じる。
大切にされた経験があるから間接的に「あなたを大切にしない」というメッセージを送るような人間にはならない。
2021/07/07 老害になるのが怖い
ずっと言葉を探している。
何年か前に大学で友人が泣いていて、どうしたのか理由を聞くと、
「老害になるのが怖い」と言われて驚いたことがあるけれど、
数年経って痛いほど分かるようになってきた。
自分が生きている限り必ず誰かを傷つける。
わたしの一つの言葉で必ず誰か傷つく人はいる。
過去のこのブログでも見返したくない言葉で書いていたりして
恥ずかしい思いを何度もしている(罰と反省のために残しているけれどこれで良いのかは分からない)。
EXITが大好きで応援しているけれど
デビュー曲の歌詞がとてつもなく酷かった。
言いたいことはわかるけれど、言葉の選び方が違う。
コロンブスの名前をどうしてそこで言ってしまうかな...。
確かに義務教育課程ではコロンブスはさも偉業を成し遂げたかのように習ったけれど
普通にミスリードで(当時のスペインにとっては彼は偉人かもしれないが今は昔ではない)
やったことなんて大量虐殺大量略奪奴隷商売だからね...。
一部の人間のために大勢の人間の命を積極的に奪った人だからね...。
彼だけが極悪というわけではないけれど(時代によって価値観は逆転したりするし...)。
でも、一番違和感があるのは、
周りに知識が豊富で優秀な大人がたくさんいると思うのに
なぜあの歌詞でリリースされたのか、かな...。
いつまで経っても無知で至らない自分にうんざりする。
勉強しても勉強しても果てしないものを感じる。
そもそも勉強量が圧倒的に足りないのだけれど。
知らないとその言葉に潜む意味の重さに気づくことができなかったりする。
戒めを込めて。
2021/07/05
先日、パートナーに一ヶ月ぶりに会おうと待ち合わせまで行くと、
疲れからか声がほとんど出なかった。
そういえば、ここ数日、吐き気のようなものが度々襲ってきていた。
身体が極度に緊張状態が続きすぎた時になるものだったから、
会っても彼に問題なかろうと思って行ったけれど
家についたとき、これは倒れるか?と思うくらい調子が悪くなっていた。
ただ、彼の甲斐甲斐しい世話のおかげで良くなり(多分1時間くらい身体をマッサージしてくれた)、
隣に人がいることで緊張が緩んだのか、
翌日縁もゆかりもない夏の高校野球(しかも1試合目)に対して
感情移入しまくり熱を持って応援するくらいまで回復した。
初戦でコールド負けというのが続いてしまっていた高校だったみたいなのだけれど、
絶対に勝ちたいという気持ちが伝わってきて、勇気や元気をいただいた。本当に。
一回目から両者の実力は素人の私でも見て取れるくらいだったのだけれど、
なんかねえ、こういう言葉あまり好きではないのだけれど、
奇跡みたいな試合だったんじゃ〜。
ヒットの数は3倍くらい離れていて、毎回ピンチをどうにか乗り切って点を抑えるみたいな感じで、
点を取るのは相手のチームのエラーによるものが多くて、、、。
結果負けてしまったけれど、それでも明らかに差のあるチーム相手に延長戦まで行った。
とても良かったし、これからも応援する。
環境が恵まれているとはいえないところでも一生懸命頑張る人が一番いいな。
昔は甲子園とか辛すぎて見られないタイプだったのだけれど
年を重ねたせいか、若い世代を見て自分が何かをいただいたりするようになった。
楽しい気持ちとか、応援する気持ちとか、勇気とか、元気とか。本当に。
悲しい気持ちも辛い気持ちも悔しい気持ちもあるけれど。
高校野球に熱中する人の気持ちがわかるようになってきた。
2021/07/03
治療にあたって、「頓服薬が必要な時が一度は来るから処方させて」と言われたので
相談しながら頓服の薬を何にするか決めたのだけれど
ベンゾパイセン回避できた。
「今のあなたなら乱用しないと思うよ〜」と先生は言ってくれるけれど
過去の経験があるから見るだけでも気分が悪くなる。
薬物依存にまつわる資料とか見てるとベンゾパイセンしっかり載ってるし。
簡単に処方しちゃいけない薬だと思うけどな。
知らなくていいことばかり知っている気がする。
*
それでものんびり生きられている。
幸せだ。