2018/07/20 彼と私

真剣と深刻は違う。いま、少し深刻にかたよってきたので、またまたある作曲家さんとわたしの話をしよう。

 

私「昨日いつも行く神社に行きました。小さな神社なのですが、二本の大木があります。わたしはそこの一つの木のことをとても好きで、疲れたときは抱きしめて勇気をもらうし、わたしが元気なときはいつもありがとうと抱きしめます。公演初日が終わったとき、ヘロヘロになり木に元気を分けてもらいました。ふと見上げると、すぐ近くに蝉がいました。見たことがありますか?生命力に満ち溢れた優しい黄緑色の身体を。透明な羽を。美しくて、、、」

 

彼、一通り相槌をうつなどし、

 

彼「木の水を吸う音を聞いたことがありますか?音が聞こえるそうですよ。特にあさ。今度聞いてみてください。」

 

翌日。

 

私「昨日、水の音を聞きに行きましたが、聞こえませんでした...」

 

これを何日か繰り返す。

 

いつかの日。

 

私「風が吹いている。見えないけれど感じる。わたしの髪はなびく。木々が揺れている。わたしは木の緑の色の違いがわかる。アリが地面を這っている。わたしの脚にアリが登ってくる。わたしは地面の上に立ち、いま、この瞬間を生きている。」

 

わたしがわたしでいるための魔法の言葉。

 

彼「...嘘じゃない(独り言)。(我にかえり)あ、えっと、本当のことを言っているのは確かだった。」

 

翌日。

 

彼「めぐちゃんが言ってたこと、俺も呟いてみたよ。でも分からなかったなあ。」

 

嬉しかった。ちゃんと言葉を聞いてくださっている。

これも知られたら...と思うけれど、彼と過ごした経験は独り占めするにはあまりに勿体ないので、メールから一部引用。

”めぐちゃんの行動や言動で、社会や日常の中でどんどん忘れられて体の奥にしまいこんでしまっているものをたくさんたくさん甦えさせてもらいました”

ノルシュテインさんの話の話の申請書の言葉を体現出来ている人なんだと思います。”

ほんとうにおそれおおいような言葉、でも頭を下げて受け取った。

体現できていないと思うけれど。いたらない。だから死ぬまで考え続ける。

 

ノルシュテイン氏の申請書を丸々引用するのは著作権的にグレーなので、少しだけ。

 

”これは記憶についての映画になるはずです。子供時代には、一日がどんなに長かったか、覚えておられるでしょうか?

毎日がひとりでにはじまり、続き、終わりました。今日という日は今日だけ成立し、明日の幸せは明日という日に持ち越されます。”

 

”私たちは、幸せとは何かを、永遠に記憶しなければならないのです。

それは平和な日が、毎日続くことです。毎日です。” 

 

この申請書でナジム・ヒクメット氏の詩が引用されている。

 

水辺に佇む太陽、ネコ、チナーラ、私と私たちの運命

水はつめたい

チナーラは背が高い

ネコはうとうとしている

太陽はあたたかい

私は詩を書く

ああ、おかげさまで、私たちは生きている!

水のきらめきが、私たちの顔に映える-----

太陽とネコとチナーラと私と

私たちの運命の