2018/08/28 夏休みの終わりに
夏休みが終わるころ、小学生の自殺率が上がる。
オトナたちがそれを考えて、いろいろ文章を書いている。
例えば、これ。
これをみて、わたしも思ったことがあった。
わたしの住んでいたところは、小学生から中学生になるとき、学区の境目だったこともあって、小学校の友達と別れて別の中学校にうつった。
小学校のは、いつもいないこの悪口を言ったり、死ねという言葉は頻繁に使われていたし、いじめは当たり前だった。
順々にみんなをいじめる女の子がいて、遊ぼうといわれて行ったら縄跳びでぐるぐる巻きにされたことがある。いじめられた期間はそう長くなかった。
でも、そのとき転校族の男の子からもいじめられていた。ボットン便所って呼ばれていて、いつも執拗以上に絡んできて、とても辛かった。彼がまた転校するときに思いがけず告白されたのだけれど、それがショックだった。好きだからいじめてましたって、許されることじゃない。とても辛かったのだ。
友達はいて、いないものだった。
親に相談して、親が先生に言ったら、「あの子は耐えられるので大丈夫」って言われたみたいだった。
事実として、いじめられていたのはわたしだけじゃなかった。ほとんど女の子はいじめられた経験があると思う。
6年間ってすごい長いもんだよな、と思う。
どうしてわたしが耐えられたかっていうと、学校が終わってからはたくさんの習い事があって、何より本がそばにいてくれたからだった。
お母さんはわたしが好きな本を図書館から借りてくれた。
『ダレン・シャン』という本が一番ハマった本だった。児童文学のダークファンタジーなのだけれど、ダレンはいつも過酷な試練を苦しみながらも立ち向かっていて、それに励まされていた。他にもいろいろなダークファンタジーを読んだ。『シルバーチャイルド』とか、『セブンタワー』とか。映画で『ハンガーゲーム』とかが好きなのってその頃の名残なのかもしれない。
土曜日の午前中は絵を習いに行っていた。そのあと、ダレン・シャンが書いた『デモナータ』というもっとダークなファンタジーにハマって、ベランダの近くでパンを食べながら本を読んでいる時間が好きだった。あまりにも好きで、デモナータ通信というものが発行されていたのだけれど、感想を書いて送ったらわたしの名前が載っていて(!)、とっても嬉しかった。
学校で嫌なことがあったら、心の中で魔術で全員ぶっ殺していた。万が一のために、黒魔術の本で覚えた呪文を暗記していて、怖がらせてやろうと思っていた。しなかったけれど。
クリスマスの日、お母さんが『ダレン・シャン』全巻分を買ってくれた。それまで図書館で借りていたので、いつでも読めるようになって嬉しかった。
それからは、学校での休み時間、とにかく本や偉人漫画を読みに図書室にこもっていた。誰にも嫌なことをされないし、嫌なことをしなくていい、とっておきの時間だった。
ようやく小学校を卒業して、嫌だなあと思って入った中学は、とにかくめちゃめちゃに楽しかった。誰も死ねって言わないし、誰もいじめとかしていないし、何よりオンオフをつけるのがみんな得意で、遊ぶときは遊ぶし勉強するときは勉強する、賢い人たちの集まりだった。そして親友ができた。優しくて美人で、ダンスが得意でとにかく賢い人だった。その子と対等でありたくて、わたしもやりたいことをやろうって思って、お芝居のオーディションを親に内緒で黙って受けて、受かって、お芝居ができるようになって。
2時間目まで授業を受けて、それから本番のお稽古に向かったり、楽しくて仕方がなかった。
最後の体育祭、楽しかったなあ。最後の競技がなんだったのか忘れたけれど、みんな雄叫びをあげていた。
高校受験のときなんて、前期試験で落ちたわたしは後期に向けて勉強していた。わからない問題は席の近くのこが教えてくれた。そして無事に後期で合格した。
誰も排他的にしない中学校だった。
もし、小学校と同じ環境で中学を過ごすことになっていたらと考えるだけでも嫌だ。
小学生が悪いんじゃないなあとも思う。そういう環境にしているのって、結局オトナたちだ。
逃げる場所があったとしても、そこにいつまでも留まることができない。
図書室は逃げる場所だったけれど、いつまでもいられやしない。
逃げてもいいんだよって言われても、逃げる場所なんてこどもには全然ない。
わたしも古賀さんみたく思う。
23歳になったら、逃げられる場所を見つけたよ。
そして自分の足でたくさんの場所に行けるよ。
面白い人たちがたくさんいて、いろんな世界があるよ。