2018/02/06

ドキュメンタリーを見た。

40年に渡って精神病院に隔離されていた人が、原発事故を理由に外に出られるようになった日々を追うものだった。

その人は、自分と比べるものではないのだけれど、わたしよりよっぽどまともで、真面目で、冷静なように見えた。

 

逃れられない非情な運命を生きてきただろうけれど、最後にその人は、「家族を持ちたい。希望を持たなきゃやっていけない。」と話していた。

 

以前の日記に、わたしの中に希望を見出したいと書いたけれど、希望を生める人は強いと思った。

 

 

別に格段何かを成し遂げたいという意思もなく、自分が特別だとも思っていないけれど、性的暴行を何度も受け、もう自分が醜くなって、自分の幸せすら憎く感じるようになってしまったし、人に沢山ひどいことをしたし、セクシャルマイノリティーだし、病気でたまに自分自身のことですら混乱してしまうことがあるけれど

 

でもこれが自分だとなんとなく思えるようになった

誰だってハンデはあるし、ようやくこんなつまらないことで今後の自分の人生を潰すわけにはいかない

自分を罰したくてしていた傷あとにいつしか依存していて、消えることが恐ろしかったけれど、べそべそこんなことで泣いてるようじゃダメなのでもう泣かないように心がける

 

誰にも求められてなくても、わたしはわたしのできることをやればいいし、わたしにしか出来ないことをやればいい、目下わたしにしか出来ないことを見つけた

 

昔は荒れ果てていた姉はいつしか妹にボーナスが入るたび大金を口座に振り込むようになった。

彼女を見て自分の足で、自分の力だけで、また歩けるようになりたいと思った。