2020/11/01 どこかの能力が高くなるとどこかの能力が低くなる

大学に入って、社会的資源(日常生活の中で社会に対して考えたり行動できたりする時間)が自分にはある=その権利を享受するということはそれなりの責任がある、と思い、積極的に世の中でおきている不都合な真実から目を逸らさずに来た

そういうことをすると日々が苦しくなる

でも、人間には馴化という機能があるから、日々負担を積み重ねると、いつしかそれは負担ではなくなる

一気に負担を負うと潰れてしまうので、少しづつやらなければならない

そういうことばかりやっていたら、不都合な真実を口にしても特に辛くなったりしなくなった

ただ、そうなるにはとても時間がかかった

ふと中学受験の問題解いてみたら、小学生のころあれだけ得意だった数学が壊滅的に出来なくなっていて震えたので、今年の年末は数学を勉強し直します。。。まじで。。。

公文にまでいかせてもらっていたのに、出来ないのは酷すぎる。。。

しかも、国語もまあほぼ満点取れるっしょ!って思ってたら、87点だった。87点。今までステータスそっちの分野にガン振りで他のことなんてろくに出来ない自分が。

学力が死んでいる。

できることが増えてきたけど、同時にできなくなっていることも増えている。

だから今年はもう少し違うこともやろうと思います。。。。。。。。反省

 

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