2020/12/07
昨日もまた新しい発見を説明するために2時間も喋りまくってしまった。
学べば学ぶほど、何かに対する法則のようなものが見えてくる。
あるかたに「あなたは生まれつき愛がある。何事にも代え難い。」という言葉をいただいた。
へんに奢っているわけでもなく、卑下しているわけでもなく、
もしかしたら、私は愛を恵むために生まれたのかもしれないと思う。
お金に困ったことはなかった。
ご飯に困ったことはなかった。
なのに、奪われて、死んでいく人たちを知っている。
こんなに欲しくなかった。
余っているということは、誰かのぶんを奪っているということに他ならない。
はやくもらえるはずだった人に返したい。渡したい。謝りたい。
謝って許されることではないけれど、頭をその人のつま先に擦り付けたい。
2019年、3月1日、辺野古を埋めないで欲しい人たちの叫びを聞きに行った。
私もその中の一人だと思ったから。
昨日、カメラで撮影したものを軽く編集して、パートナーに見てもらった。
自分で作ったものなのに、見終わってから、
あんまりにも、あんまりにも、あんまりで、しばらく彼の胸の中で動けなくなった。
(ただ、ここで私が流す涙も、時間も、犬も食わない行為なので、そういうことをする時間はあんまりねえぞと、すぐ立ち直ったけどね!)
私たちは耳を傾けねばならない声を無視した。
私は、被害者だと思っていたけれど、結局のところ加害者だ。
あんまりだ、こんなこと。
大学のゼミで、デモに参加したと言ったら、そこで流れた冷ややかな空気を忘れない。
(教授は評価していたように思うけれど)。
そこでさえ、私は異端だった。
今、誰も沖縄について語ることはない。
私たちは、沖縄に住んできた人を、無視した。
それは、一生以上かかっても、許されないことだ。
私たちの子どもの世代に、その罪は重くのしかかるだろう。
その先の世代にも... みんな、そういうことを理解しているのだろうか?
もう、二度と、戻ることはないものが、
美しい海が、少しずつ、死んでゆく.........