2020/12/07

昨日もまた新しい発見を説明するために2時間も喋りまくってしまった。

学べば学ぶほど、何かに対する法則のようなものが見えてくる。

 

あるかたに「あなたは生まれつき愛がある。何事にも代え難い。」という言葉をいただいた。

 

へんに奢っているわけでもなく、卑下しているわけでもなく、

もしかしたら、私は愛を恵むために生まれたのかもしれないと思う。

 

お金に困ったことはなかった。

ご飯に困ったことはなかった。

なのに、奪われて、死んでいく人たちを知っている。

こんなに欲しくなかった。

余っているということは、誰かのぶんを奪っているということに他ならない。

はやくもらえるはずだった人に返したい。渡したい。謝りたい。

謝って許されることではないけれど、頭をその人のつま先に擦り付けたい。

 

 

 

2019年、3月1日、辺野古を埋めないで欲しい人たちの叫びを聞きに行った。

私もその中の一人だと思ったから。

昨日、カメラで撮影したものを軽く編集して、パートナーに見てもらった。

https://youtu.be/3uKoTCYpRZE

自分で作ったものなのに、見終わってから、

あんまりにも、あんまりにも、あんまりで、しばらく彼の胸の中で動けなくなった。

(ただ、ここで私が流す涙も、時間も、犬も食わない行為なので、そういうことをする時間はあんまりねえぞと、すぐ立ち直ったけどね!)

 

私たちは耳を傾けねばならない声を無視した。

私は、被害者だと思っていたけれど、結局のところ加害者だ。

あんまりだ、こんなこと。

 

 

 

youtu.be

 

大学のゼミで、デモに参加したと言ったら、そこで流れた冷ややかな空気を忘れない。

(教授は評価していたように思うけれど)。

そこでさえ、私は異端だった。

 

今、誰も沖縄について語ることはない。

私たちは、沖縄に住んできた人を、無視した。

それは、一生以上かかっても、許されないことだ。

私たちの子どもの世代に、その罪は重くのしかかるだろう。

その先の世代にも... みんな、そういうことを理解しているのだろうか?

 

もう、二度と、戻ることはないものが、

美しい海が、少しずつ、死んでゆく.........