2020/11/05 死にたい人にかける言葉のすゝめ
死にたい人に「死なないで」という言葉は、生きたい人に「死ね」ということと同義語だと私は思っている。
少なくとも私はそうだった。
なぜ「死なないで」という言葉をかけるのか。その本質は「あなたが死ぬことによって私が辛い思いをする。それは困る。」だ。それは、死にたいと思うほど苦しんでいる人をさらに苦しめる。
「死にたいのに自分が死んだら不利益を被る人がいるから、死ねない。でも死にたいほど苦しい。」と思うようになる。
では、どんな言葉をかければ良いのか。
「あなたはいつか死ぬことができる。みんな等しくそうだ。だから、今じゃなくても良いのではないだろうか。」という風に言ってみるのはいかがだろうか。
うつ病になると、本当に今までできていたことができなくなる。
初期の認知症患者が持つ恐怖に近いと思っている。
あの絶望の中にいる人を誰かが救えることは、ない。
絶望する。
朝カーテンを開けることさえできない自分に。
夜眠ることができない自分に。
ご飯を作ることもできない自分に。
お皿を洗うことすらできない自分に。
お風呂に入ることすらままならない自分に。
一冊の本すら読めない自分に。
全身が絶え間なく痛み、激しく気分が落ち込む。
処方薬では到底足りず、酒に頼り、タバコに頼り、
それでも足りず、市販薬を何百錠も飲み、あらゆる薬物が欲しくなる。
たったすこし、ほんとうに、ほんのすこしの間、痛みから解放されるために、
ただそれだけのために自分の身体をボロボロにしている自分に、絶望する。
そういう人に「死なないで」と言っていいのは、その人の人生に責任を取ることができる人だ。
そんな人はいないのだ。
人は、人を助けることはできても、救うことは難しい。
人は、そんなに人を救うことはできない。
しかし、救うことができた例は、ないことはない。
私の母は、死にたかった私に「あなたが死んだら私が生きていけないかもしれない」と言った。
当時の私はその言葉が一番きつかった。呪いをかけられたと思った。
しかし、「私が死ねば母も死ぬかもしれない」は、「母を生かすために生きる」に変わり、「ただ生き延びるだけでいい、死ななければいい」になり、ひたすら命を続けた結果、様々な要素が加わり、「生きたい」になった。
母は私が母の言葉によって苦しむことを知っていて言ったのだと思う。
そして、命がけで守られたのだと思う。